2010年12月26日

久し振りに帰京

10122600.jpg

 余りに余っていた有給休暇を使って長めの休みを取り、東京に戻って来た。羽田に降りてから家にたどり着くまで、空港やら駅やらで人ゴミに揉まれ、やっぱり東京って人が多いなと実感する。福岡もこの季節、天神辺りに休日に出掛けると結構な混雑だが、人ゴミのボリューム感が違う。ついでに電車の込み方もかなり違う(笑)。

 まぁそんなわけで、福岡の散歩日記は年末年始はお休みということになる。東京でも散歩をしているかとなると、様々な用事で外に出掛けることが多く、それなりに歩いてはいるのだが、楽しんで歩いてはいない。やはり楽しく散歩するには、相応の環境と条件が必要なのだ。

 福岡での半年を振り返ってみると、最初は慣れぬ生活ゆえどうなることかと思ったが、とても住みやすい街で、落ち着くまでにさして時間は掛からなかった。古代より、海の向こうから様々な人を迎えて来た土地ゆえ、よそ者が移り住んでも溶け込みやすいのだろう。

 福岡の良いところは、都会のよさと自然の恵みがうまく共存していることだと思う。東京で自然を味わうのはなかなか大変だ。公園はたくさんあるが、切り取られた自然でしかない。本格的に自然にひたろうと思えば、かなり時間をかけて郊外に行く必要がある。行ったら行ったで、渋滞に巻き込まれたり電車が込んでいたりと、とにかく疲れる。その点、福岡は自然が身近でいい。

 市内を流れる川はきれいだし、少し行けば山が間近に望める。ましてや海はすぐそばだ。山歩きや魚釣りを趣味にしている人にたくさん出会ったが、皆さん、ごく気軽に山や海に出かけて休日を楽しんでおられる。一日がかりで時間も手間もかけて繰り出す東京とは大違いだ。

 福岡出身の元チューリップの財津和夫が歌う「夕陽を追いかけて」では、福岡の海のことが何度か出て来るが、福岡に住んでみてその意味がよく分かった。私自身、福岡で生活していると海を眺める機会が頻繁にある。海辺の散歩もさしたる苦労もなく出来る。海が身近にあるというのはいいものだと実感した。

 それと、魚の鮮度がすこぶる良い。東京も築地に行けば新鮮な魚が手に入るが、同じくらいの鮮度のものは、福岡なら近所の魚屋で手に入る。しかも、東京の感覚からすれば驚くほど安い。刺身の好きな私は、いったいどれくらい食べただろうと思うほど刺身をたくさん食べた。計算すれば2-3日に1回は食べているはずだ。魚好きには天国のような土地だ。

 そんなわけで、単身生活の不自由さはあるが、けっこう福岡の生活は気に入っている。住むには良い都市だし、東京では味わえない贅沢も出来る。生活の豊かさでは、福岡は決して東京に負けていないと思う。

 さて、年内にもう一回くらいこのブログを書くかもしれないが、これが最後になる可能性もあるので取りあえず年末のご挨拶をしておきたい。

 本年このブログに来て下さった皆様に心から感謝する。勝手気ままな散歩のことしか書いていないのでさして役に立つ内容とも思えないが、読んで面白いと思って頂けたなら、作者としては望外の幸せである。

 さて来年はどんな年になるのやら。皆様も良い年をお迎え下さい。

posted by OhBoy at 23:54| 日記

2010年12月19日

古代と現代を訪ねて

10121901.jpg

 昨日はいい天気だったが、今日はもう天気は下り坂らしい。九州というと日本の南にあり気候温暖なイメージだが、福岡はれっきとした日本海側の都市であり、冬になるとどんよりとした日が多くなるという。要するに、裏日本型気候なんだな。

 今朝は晴天で、昨日に引き続き穏やかな日和。この調子だと夕方まで天気は持つだろうと踏んで、福岡市の西にある「姪浜(めいのはま)」まで出掛けることにする。地下鉄からだとアクセスが面倒なので、今日はバスを使う。まず目指すは、姪浜地区の北西端にある「小戸公園(おどこうえん)」である。

 ここは北側と西側が海に面しているので眺めがいいし、広場や遊び場もあって、家族連れに人気があるようだ。公園内には広いグラウンドや児童公園があって、夏に来たときにはソフトボール大会をやっていて大賑わいだった。

 公園の真ん中に小高い山があり、地図では展望台があるかのように見えたので一度上がったことがあるが、頂上は周りを木で囲まれてまるで展望がきかなかった。海に面した北西の端なので、木を払ったらさぞかし絶景が眺められそうなのだが、残念である。

 海沿いにボードウォークやら散策道があるのだが、ここから北を望めば、「能古島(のこのしま)」が真正面に浮かび、その後方に「海の中道(うみのなかみち)」がうっすらと見える。また西側は、今津湾の向こうに遠く糸島半島が眺められる。以前、元寇防塁を見に行った「生の松原(いきのまつばら)」も、ここから海岸伝いにあるが、残念ながら間に川があるので、海岸沿いを歩いてもたどり着かない。ヨットハーバーがすぐ南側にあり、夏に来たときは、砂浜で海水浴を楽しむ子供たちの姿もあった。

10121902.jpg

 ところで、この公園の名前にある「小戸(おど)」というのは、日本神話の最初に出て来る国産み・神産みの話に登場する地名である。この話は以前、住吉神社に行った際にも書いたが、男神「イザナギ(伊弉諾)」とその妻「イザナミ(伊弉冉)」にまつわる話である。

 イザナミはイザナギとの間に多数の子供をもうけるが、それが日本の国土や、水・風などの自然を構成するものになっていく。最初に産んだのは淡路島で、その後本州、四国、九州にその他諸々の島、更には海、山、木、加えて水や風も産んだ。そして最後に火の神「迦具土(カグツチ)」を産んでやけどを負ったイザナミは亡くなってしまう。このときイザナミは夫のイザナギに、死んだ後の自分の姿は決して見ないでくれと頼む。

 妻を失った夫のイザナギは嘆き悲しみ、禁を犯して黄泉の国までイザナミに逢いに行くが、そこで見たのは腐敗してウジがわいたイザナミの姿だった。禁を破った夫に対して、死者となったイザナミは怒り狂い夫を追いかけるが、すんでのところでイザナギは黄泉の国を脱出し現世に逃げ帰る。

 黄泉のケガレを落とすためにイザナギは海岸で禊(みそぎ)を行うのだが、その禊の場所が日本書紀では「筑紫の日向の小戸の橘の檍原(ちくしのひむかのおどのたちばなのあわきはら)」とされている。この小戸がまさにこの地だというわけである。

 そんな聖地なので、ここには「小戸大神宮」という神社が建っている。小さな神社なのだが、名前がすごい。大神宮である。普通は付けないよなぁ(笑)。

10121903.jpg

 神社の謂れを見ると、神社そのものがいつからあったのかは不明なのだが、元々は祠があっただけらしい。それを江戸時代に福岡藩6代目藩主「黒田継高(くろだつぐたか)」が今の神社の形にしたという。継高と言えば、以前「樋井川(ひいがわ)」沿いを散歩した際に訪れた「友泉亭(ゆうせんてい)」を建てたので有名である。

 ところで、イザナギの禊の最中には様々な神が産まれており、住吉神社に祀られている「住吉三神」もそのうちの一つだ。ただ、一番有名な神は最後に生まれた三神で、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」、「月読命(つくよみのみこと)」、そして「素戔嗚尊(すさのをのみこと)」である。イザナギは、兄弟であるこの三人の神に「高天原」「夜」「海」の統治を命じている。この話の先が有名な「天岩戸伝説」である。

 そんなわけで、ここがイザナギの禊の地だとなれば、天照大神をはじめ有名どころの神々の生誕の地ということになる。現にこの小戸大神宮は天照大神を祀っている。しかもこの神社、昔は伊勢神宮と同じ「式年遷宮」まで行っていたのである。しかし、神社本体を見ると、ホントにこれが天照大神生誕の地なんですかという風情である。

10121904.jpg

 まぁ元々は祠しかなかったんだし、式年遷宮で社を移し続けていたわけだから、こんなもんかもしれないなと思う。かえって、こんな簡素なものだった方が、より本物っぽいということかもしれない。

 もっとも、イザナギが禊を行ったとされる場所はここだけでなく、他にもいくつかある。

 身近なところでは、以前に行った福岡の住吉神社である。あそこは全国の住吉神社の中で一番古いとされているが、同時に禊の場所だったところに建ったという言い伝えがある。博多の古い地図を見ると、住吉神社は海に突き出た場所にあり、敷地は海岸線だった。今でも、住吉神社の入り口から道路を隔てた向かい側に、ポツンと一つだけ鳥居が立っているが、あそこは昔は海か浜辺だったのだろう。筥崎宮などこの近辺の神社によくある構成である。そうすると海岸で禊をしたという神話のストーリーとも合致する。

 もう一つの有力候補は、宮崎市にある「江田神社(えだじんじゃ)」だという。行ったことがないのでよくは分からないが、ネットで調べる限りこの神社はイザナギとイザナミを祀っており、昔は海に面していたと伝えられる。

 まぁどこが本家かを争うのもいいが、しょせんは神話の話であり、あの世に行って死んだ妻と会った後に現世に逃げ帰って禊したなんて、実際にはありえん話なのだから、あまり真剣に検討しても仕方ないかもしれない(笑)。要は、皇室の祖先である天照大神、あるいは天照大神とされている人物は、九州のどこかで生まれたという公式見解が、古事記や日本書紀の時代にあったということが大切なんだろう。

10121905.jpg

 さて、この場所にはもう一つ伝説がある。このブログに何度も登場している「神功皇后(じんぐうこうごう)」である。彼女は、神話と現実の境界線辺りの時代に活躍した人物で、夫は仲哀天皇。イザナギとイザナミに比べれば、はるかに実在性がある。但し、仲哀天皇の父親は「日本武尊(やまとたけるのみこと)」なので、この辺りからは神話の世界なのかもしれない。

 神功皇后は神のお告げで、仲哀天皇の死後に朝鮮半島に出兵し、新羅、百済、高句麗を支配下に置いた。いわゆる「三韓征伐(さんかんせいばつ)」である。ちなみに身重で出兵しており、朝鮮半島からの帰りに福岡で産気づき、この地で後の応神天皇を生んだ。応神天皇はおそらく実在しただろうと言われている最古の天皇である。この天皇も九州の生まれだということが、古事記や日本書紀で認められているわけだ。

 この小戸公園がある姪浜は、神功皇后が三韓征伐に出掛け、その帰りに再びここに上陸したと伝えられる地である。帰国の際、下着の袙(あこめ)が濡れたので砂浜で乾かしたと言われ、そのため「衵ノ浜(あこめのはま)」と呼ばれた。そのうち「あこ」の部分が取れて、今の名前になったわけだ。

 そして、神功皇后が三韓征伐のために出航した具体的なポイントが、この小戸公園だったというのが、小戸大神宮の言い伝えである。この上の写真が、神社の前に広がる海だが、この辺りで神功皇后が下着を干していたのだろうか。その姿を想像すると、遥かなる神話の世界に思いを馳せるというより、何となく笑ってしまう。

 そんなわけで小戸大神宮内には、神功皇后ゆかりの岩がある。「安産石」といわれる大きな岩で、この岩に座って神功皇后が休憩を取ったという言い伝えなのだが、それがどうして安産と関係あるかというと、神功皇后が懐妊したまま戦地に向かって、帰国後に無事出産したからだろう。お蔭で、彼女は安産の神様としても崇められていると聞く。

10121906.jpg

 もう一つの神功皇后ゆかりの場所は「お膳立て」と呼ばれる岩で、これは三韓征伐出発前に食事をした場所と伝えられる。この神社にあるのではなく、神社の前に広がる海にあるらしいのだが、それらしきものは見当たらない。案内板にもう少し詳しい解説を入れてほしいものだ。

 さて、古代のロマンにはもうたっぷりと浸かったことだから、ここからは一気に生々しい現実に戻ろうと思う。小戸公園から歩いていける場所にある「マリノアシティ福岡」が次なる目的地である。

 自動車道に沿って歩く手もあるが、この際だから海を眺めながら海岸線を歩いて行くことにした。堤防沿いには釣りをする人がたくさんいる。どんな釣果があるのかよく分からないのだが、家族連れで釣り糸を垂れている人もいて、いい憩いの場だと思う。

10121907.jpg

 マリノアシティ福岡は、2000年に開業した福岡のアウトレットモールである。ここには大きな観覧車があるので、遠くから見てもすぐに分かる。

 ウィンターセールをやっていることもあり、もうすごい車の列で駐車場は満杯。道路に延々と駐車待ちの車が並んでいる。ただ、モール内は広いので、そんなに混雑という感じでもないが・・・。しかし、イザナギや神功皇后から一気にここかよ、みたいな落差がある場所だ。

 敷地内は大きく二つのエリアに分かれていて、それぞれ「アウトレット棟」と「マリナサイド棟」と呼ばれている。アウトレット棟にはブランドもののアウトレットを中心に様々な店が並ぶ。地元の代表としては有田焼の「香蘭社」が出店しているほか、「九州のムラ市場」というのもある。

 九州のムラ市場は、地産地消を掲げて九州各地の食材を売る産地直送の市場である。野菜や加工食品だけでなく、刺身や魚介類も売っている。この隣に「西海船番所」というビュッフェ・レストランがあり、魚介や野菜を中心とした地元産の料理をビュッフェ形式で食べられる。ただ、けっこうこんでいるのだが・・・。

10121908.jpg

 上の写真は九州のムラ市場のある一角だが、ここは以前に来たときにもものすごい人だかりだった。ムラ市場の外側に地元の食材を使った屋台が色々出ているのだが、これを目当てにたくさんの人が集まり、オープンスペースでイスやテーブルを使い食事をしている。見ているとどれもおいしそうで、つい買いそうになる。

 一方マリナサイド棟は、「ニトリ」「ベビーザらス」などの有名大型店舗が並ぶほか、各種のレストランもある。両棟の間には道路が通っているが、上空を通る連絡通路で結ばれており、行き来は簡単だ。マリナサイドは名前の通りヨットハーバーに隣接している。海岸沿いがボードウォークになっていて、クルーザーなどを見ながら散歩も出来る。

 今日は天気が良かったせいか、大型のクルーザーが出入りしていて、シーサイド・リゾートらしい開放的な雰囲気だった。ちょうどこのヨットハーバーの対岸に「能古渡船場」があり、能古島行きの船が出ている。

10121909.jpg

 アウトレット棟・マリナサイド棟合わせて、ショップ数は170以上。全て見ていたらいくら時間があっても足りない。

 実はここに寄ったのは、帰りのバスがここから出るからという理由のほかに、アウトドア関係の店に寄って方位磁石を買うためである。以前から市内の路地なんぞを探索する際に、方位磁石があったらなぁと思うことが多く、適当なものを探していたのである。時計のバンドに付けるタイプで100m防水仕様の本格的なものを買う。まぁ海にもぐることはないのだが、雨に降られることはあるかもしれないから、防水機能はあった方がいい。

 アウトレット内はショップばかりでなく、子供を遊ばせるスペースがあったり、休憩コーナーがあったりと、造りがゆったりしていて、歩いていてもあまり疲れを感じさせない。もっともそれは、私があまり個々のショップ内を覗かずに、散歩のように棟内を歩いているせいかもしれないが・・・。

10121910.jpg

 さて、たっぷりと歩いたし、そろそろバスに乗って家に帰ろう。それにしても、日が翳り始めたのにまだ延々と駐車場に入ろうとする車の列が続く。ショップは午後9時、レストランは午後11時までだから、まだまだ時間はあるが・・・。

 今日は神話の世界から如何にもリアルな現代まで、一気に楽しんだ一日だった。天気も何とか持って良かった。方位磁石も変えたので、これで散歩の道具は万全となった。

posted by OhBoy at 23:16| 日記

2010年12月18日

師走の天神にて

10121801.jpg

 今週は寒波が襲来して福岡市内でも木曜日には小雪が舞った。さすがに12月だなと思わせる気候である。福岡の南にそびえる山々の麓ではもっとたくさん雪が降ったらしい。もっとも山の高いところでは、それ以前に初雪を観測していたとも聞くが・・・。そのうち九州のあちこちから雪便りが聞かれるのだろう。

 とは言いつつ、このまま一気に真冬というわけでもなく、週末になって天気は持ち直し、朝から青空が覗いた。昨日まではかなり寒かったが、今日は気温も上昇するらしい。風もなさそうだし、穏やかな日和だ。

 早速散歩でもといきたいところだが、今日は出掛けなければならない用事があったので散歩はお休み。でも、行った先が天神地区だったので、クリスマス一色となった福岡の繁華街をそぞろ歩いた。

10121802.jpg

 師走とあって、天神は買い物客でなかなかの賑わいだった。地下街はたくさんの人が行き来していて、ウィンドー・ショッピングも兼ねて楽しくおしゃべりしながら歩いている。そんな人々に向けて、両側に並ぶ店からはクリスマス・セールの掛け声がかかる。平和な年末の光景である。

 この不況の中でも、クリスマスの飾付けは年々パワーアップしているように思う。福岡には今年来たばかりなので昨年のことは知らないが、少し天神を歩いただけでも立派なクリスマス・ツリーが至るところに飾られており、夜になるとイルミネーションがきれいだと聞く。

 地元の人に、天神で話題になっている珍しいクリスマス・ツリーはあるんですかと訊くと、「クリスマス・ツリーじゃないが大丸に飾ってあるデコレーションが毎年話題を呼んでますよ」と言われた。

10121803.jpg

 見ての通り巨大なテディーベアである。名前を「ファンタスティック・クリスタルベア」と言うらしい。これは大丸の横にある「パサージュ広場」に飾ってある。何が話題かというと、ペットボトルで出来ているという点だ。

 今どき流行の「エコ」をテーマに、ペットボトルに包まれた高さ10mのクマが、LEDで様々な色に発光する。見ているだけで面白く、周りをたくさんの人が囲んでいる。夜になれば益々きれいなんだろうなぁ。

 福岡に来てから見聞きしていて思うのだが、地方都市の中にあって福岡はかなり元気な街だと思う。地元の人は不景気だと不満を漏らすが、他の県庁所在市がどんなだかをご存じないからそんなセリフが出るのだ。私は、昨年、一昨年と各地を出張して回ったが、それこそ意気消沈したような街がたくさんある。

 具体的な統計はよく知らぬが、福岡は、九州の中で買い物に行きたい先としてダントツに人気が高い都市だと思うし、来年3月に新幹線が全線開通すれば、その傾向には更に拍車がかかるだろう。また、韓国や中国からの観光客も趨勢的に増えており、彼ら彼女らの最大の目当てが買い物だから、天神地区はたっぷりとその恩恵に預かっているはずだ。

10121804.jpg

 前からこのブログに書いているが、福岡は「魏志倭人伝」の頃から大陸との重要な交流経路となって来た歴史がある。古代の日本において、海外から伝わって来た様々な文化・技術・商品は、全て福岡を経由地として国内に入って来ている。人の流れもそうで、福岡の歴史を紐解けば、外交・貿易の要所だったことが分かる。

 今では海外との行き来は飛行機で、という時代だが、物流に関しては依然船が利用されることが多く、その点では福岡を含む北九州は、中国との行き来で距離的にかなり有利だ。北九州に日本の自動車メーカーが工場を作っているのは、そうした地理的な有利さを織り込んでのことだろう。この先、中国が巨大消費市場として成長していけば、北九州エリアは益々有利となるはずだ。

 そうして考えると、福岡の未来には明るいことが多く、そう悲観することはないじゃなかろうか。こんな好条件に恵まれた地方都市って、今どき珍しいと思うがなぁ…。

10121805.jpg

 今の師走の街はどこでもクリスマス一色だが、昔はクリスマス・セールなんて言わず、商店街には「歳末大売出し」の言葉が踊っていたと思う。ちなみに天神から中洲を渡った向こう岸にある「中洲川端商店街」では、それに相当する言葉として「せいもん払い」という言葉があるようだ。

 以前、中洲を散歩したときに、中洲の南端にある石灯籠の由来について書いた。明治時代に川端で漬物屋を営んでいた「八尋利兵衛(やひろりへい)」という人物が中洲から住吉にかけての那珂川沿いを整備して「向島(むこうじま)」という遊園地を開いたのだが、その開園記念に立てられたのが中洲に経つ石灯籠だという話である。

 実は、せいもん払いという大売出しを博多に持ち込んだのは、この八尋利兵衛である。たまたま商用で出掛けた大阪でえびす祭りを見た利兵衛は、そこで「誓文払い」と名付けられた大売出しがたいそう賑わっているのを目の当たりにして、これを博多でもやったらどうかと思い付く。彼が偉かったのは、それを自分の店だけでなく周囲の商店も説得して、商店街の大売出しに発展させたことである。そのうえ利兵衛は、この売出しを宣伝するためにビラを大量に印刷し、福岡市内だけでなく周辺の郡部にまで撒いた。行動派の商売人だったんだろう。

 この前の明太子の話じゃないが、博多商人というのは立派な人が多いと感心する。大局観がありスケールも大きい。自分だけ儲かれば良しとするのではなく、町全体の発展を視野に入れて活動しているところなんぞ、銭ゲバの東京商人に見せてやりたいよ。古代より商売の街として栄えただけのことはある。

 さて、天神の散歩を締めくくるのに、ちょっとマイナーなところに立ち寄ろうと思う。

10121806.jpg

 天神から少し西に行ったところにある細い南北の道路だが、人呼んで「親不孝通り(おやふこうどおり)」という。今ではネーミングが悪いということで「親富幸通り」と漢字を改めたが、博多の人々には有名な通りらしい。

 この通りには以前、予備校がいくつかあって、浪人生が通学に使っていたことからこの名前が付いたと聞く。しかし、若者がたくさん集まるということで、飲食店や酒場が次々に店を出すようになり、一時は治安の悪い通りになっていたらしい。まさに親不孝者が集まっていたわけだ(笑)。

 やがて予備校はなくなり、単なる飲み屋街になったそうだが、名前だけは今に残る。

 筑豊の炭鉱の町で歯医者の跡継ぎ息子として育った井上陽水が、歯科大学の受験に失敗し予備校通いのため歩いたのもこの通りである。彼は3度目の受験に失敗したところで、大学進学をあきらめ歌手を目指したが、結果においては成功し、親不孝者にはならなかったわけだ。今のネーミング通り、「親富幸」な人生だったんだろう。

 この通りを歩きながら、陽水の「人生が二度あれば」を思い出すと、なかなか感慨深いものがある。自分の人生がどうなるか分からなかった浪人時代の陽水は、どんなことを考えながらこの通りを歩いていたんだろうか・・・。

 さて、冬の日はあっという間に翳る。そろそろ家路につこう。

posted by OhBoy at 23:26| 日記

2010年12月12日

谷に分け入る

10121201.jpg

 今日は昨日と打って変わって、朝からおだやかな日和。空気は冷たいが気持ちのいい晴天で、朝起きてフトンまで干しました(笑)。昨日の散歩が不発だったので、今日は距離を稼ごうと考え、再び「南公園」周辺を攻めることにする。

 前回行ったのは11月23日の勤労感謝の日で、主に桜坂周辺の山道を歩いた。今回は、桜坂の西側から谷に入ろうと考えた。谷というのは地名なのだが、昔は南公園のある大休山の谷あいだった地域で、文字通りの谷だったらしい。ビルの建つ現在はその面影を偲ぶのは難しかろうが、少しでもそれらしき風情を求めて、裏道に分け入ろうという目論見だ。

 今回の出発点は、地下鉄空港線の「唐人町駅」である。ヤフードームに行く場合の通り道となる「唐人町西」の交差点から、足慣らしに1kmほど南下し、地下鉄七隈線「六本松駅」へ行く。ヤフードームに行く人なら分かるだろうが、この交差点から北に上がると川沿いの道を歩くことになる。川は「菰川(こもがわ)」というが、交差点の南には川は見当たらない。つまり、ここからは暗渠になって地下を川が通っているわけだ。

 この川の上を走る道は、歩道が広く取ってあって散歩にはなかなかいい。場所によっては車道より歩道の方が広い部分まであり、どうしてこんな道になっているのか不思議に思う。車道も広いので交通量が多そうに見えるのだが、案外そうでもない。信号の具合では、全く車が通らないことも多々ある。

10121202.jpg

 スタート地点の唐人町駅と、とりあえず行こうとしている六本松駅とは、地下鉄を利用すればつながっているわけだが、空港線と七隈線は天神から分かれているので、かなり遠回りになる。インターネットで路線検索すると、両駅間は32分もかかる。1kmなんだから、どう見ても歩いた方が早い。

 六本松は、毎度六本木と間違ってしまう地名だが(笑)、雰囲気はまるで異なり、こちらはかつての学生街である。六本松には、古くは旧制福岡高校があり、それが戦後九州大学の教養部となった。長らく学生街として栄えたこの辺りも、九州大学の伊都地区移転に伴い、昨年9月にキャンパス閉鎖。学生街としての歴史に幕を下ろした。

10121203.jpg

 さて、いよいよこの辺りから裏道に踏み入ろうということだが、さすがに今回は念入りに地図を調べた。古い街並みの残る路地裏で迷子になると、どこにいるのか、どの辺りに出るのか、皆目見当が付かないからだ。もっとも、下調べをしたからといって迷わない保証はないわけだが…。

 六本松の交差点から城南線を300mほど東に行った辺りから細道に入るつもりだったが、早速冒頭から道を間違える(笑)。気付いて引き返すまで暫くかかった。こんな形で距離を稼ぐのは不本意だが、迷子になるのも散歩の醍醐味と思わねばならない(笑)。

 結果的に当初目論んでいた進入地点からずれて、谷1丁目付近から探検スタートとなった。やれやれ、この先大丈夫かと心配になる。谷という地名は1-3丁目まであるが、地図で見てもものすごく道が入り組んでいて複雑だ。おまけに目印となるものがない。ところどころにある緑地を目指して行くことにした。

 まず最初に目指したのは「谷緑地」である。進入地点を誤ったので、無事に着けるのか不安だったが、住宅地の中で緑のこんもりしたスペースを見つけたときにはホッとした。

10121204.jpg

 それにしてもこの公園、さして広くないのにすごい高低差がある。公園の上まで上がると、ちょっとした高さだ。ボール遊びなんか危なくて出来ない。ボールを落とすと一番下まで転がって行ってしまうだろう。

 表通りはあくまでも平らなので気付かないが、一歩中に入るとかなり地形がうねっているのが分かる。そのうえ、人がやっと通れるくらいの狭い路地がいっぱいあって、それがまた急勾配になっている。こりゃ暮らすのは大変だと思った。家の建て替えなんて、どうしているんだろう。

10121205.jpg

 次に目指したのは地図上に「陸軍墓地」とだけ記されていた緑地である。ここまで行くのがまた大変で、一つとして真っ直ぐに通っている道なんてないから、ほとんど地図とにらめっこの状態で歩く。途中で荷物を抱えて走っている宅急便の人とすれちがったが、こんなエリアの配達なんて大変なんだろうなぁ。第一、目的の家が容易に見つからんのじゃないか。

 で、ようやくこれではないかと思われる場所に出たが、入り口には陸軍墓地の表示はなく「谷公園」となっている。しかし、地図を見ても谷公園なんて見当たらない。入り口の階段に石燈篭が立っているので、どう見てもこれだろと思って階段を上がる。

 階段を登り切ると、かなりの大きさの敷地に墓碑がいくつも立っている。おぉ、やっぱりここだったと近づいてみると、日清、日露、支那事変、大東亜戦争など、戦争ごとに犠牲者の慰霊碑を立てている。

10121206.jpg

 ここは場所的にかなり分かりづらいし、交通の便も良くない。入り口の道は狭くて車を駐車できる余裕などなく、近くにコイン・パーキングなんてなさろうだから、来ようと思えば六本松から徒歩しかあるまい。入り口の表示も墓地ではなく公園になっているので、詳しい地図を持って来ている人でないと、場所が分からないんじゃないか。このままだと次第に忘れ去られていく場所になると思うが、そもそもこうした慰霊碑だけでなく、戦争そのものが忘れ去られようとしている気もする。これも時代か。

 逆に谷公園を目指して来た人からみれば、なんでここに墓碑がたくさん立っているんだといぶかしむかもしれない。私が参考にした地図は2008年版のものだったが、やがて地図上の名称も陸軍墓地ではなく谷公園になってしまうんじゃなかろうか。

 さて、次なる目標は「山の上ホテル」の麓を縫うようにして「井の浦下池」まで行くというものだったが、ここで再び道に迷う。山の上ホテルは、谷地区のあちこちから見えるので、道も分かりやすかろうと思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかったようだ。

 このホテルは、最初に桜坂に行った際、坂道の途中から入り口が奥に伸びていたように思う。従って、正式の入り口はこちら側ではない。谷地区から見えるといっても、こちら側からアクセスする道はないのではないか。

10121207.jpg

 このホテルは高台にあるので福岡市内を展望できて素晴らしいと聞くのだが、如何せん、交通の便が良くない。地の利からいってビジネスマンは泊まらないのだろうが、観光客にしてもここからの展開は少々不便かもしれない。どちらかというと常連客向けか。ホテルの案内を見ると「目黒雅叙園」の系列ホテルらしい。あぁなるほどという感じがした。そういうコンセプトですか。

 ところで、このホテル周辺の道の何が難しいといって、家に向かう私道か普通の道路かがよく分からないのである。いずれも狭くて曲がりくねり、先が見えない。従って、行ってみたら人の家の玄関に出たり、どう見ても家の裏につながるようにしか見えない道が、れっきとした公道だったり。

 ここで迷っている間に、かなりの高低差を行き来してどっと足腰に響いた。とにかく勾配がすごいのである。坂道を登った挙句に人の家で行き止まりになっていたときの虚脱感はえもいわれぬものがあった。以前の腰痛の時だったら、ちと苦しかったろうな。

10121208.jpg

 長崎の斜面の家とそこを通る道がすごいと思ったが、この地区も負けてはいない。眺望はなかなか素晴らしいが、ここでの生活に慣れるまでは大変だと思う。中には、どうやってこの場所に車を駐車したんですかなんて駐車場を持つ家もあるし、雪が降ったら一歩も外に出られないと思われる急坂に囲まれた家もある。

 このエリアで迷いながら歩き続け、ここじゃないかという場所まで出た。どうも地図とは道が違うような気もするが、間違えたら間違えたでいいやと思って進む。井の浦下池が見つからなくても、「筑肥道路」に出さえすればどうにかなる。

 こういう散歩の折にいつも欲しいと思うのは方位磁石だ。道が真っ直ぐではなく曲がりくねっている場合には方向感覚が分からずに、誤った方向に歩いていることがよくある。幸いこのエリアは高低差があり、山の上ホテルが見え隠れするから方向だけは分かるが、平坦なところで見晴らしが利かないと、完全な迷子状態になる。

 さて、筑肥道路目指して道を進むと、突然不思議な空間が左手に現れた。ものものしい有刺鉄線を張った向こうに池が見える。どうやらこれが最終目標地点の井の浦下池らしい。しかし、公園になり損ねたような空間で、いったいこの池は何だという感じである。

10121209.jpg

 写真は露出の関係で明るくなっているが、受けた印象は暗めの池で、何か因縁でもありそうな雰囲気だった。かなりの大きさだが、周りを崖に囲まれており、池の端には降りられないように見える。溜め池だとしても使いようがない気がするが、どうしてこんな池がここにあるんだろうか。

 ちなみに、この池のある通り沿いに案内板があったが、道路の表示は「井の浦池通り(いのうらいけどおり)」になっている。地図では井の浦下池と「下」が入っているが、どっちが正しいのだろう。

 正しい道を来ていることが分かったので、そのまま道なりに進んで、南公園の南側を走る筑肥道路に出る。かくして、谷の冒険は終わりだ(笑)。高低差があったので、道に迷った分まで含めてけっこう運動になった。

 さて、今度は帰り道だが、今通って来た地区の西側にある「梅光園緑道(ばいこうえんりょくどう)」というのを通ってみようと思う。この道は、南公園の西を流れる「樋井川(ひいかわ)」沿いの住宅地の中を抜ける道なのだが、元は筑肥線の線路だったという。

 現在の筑肥線はJR九州が運行しており、福岡市の西にある姪浜駅から佐賀県唐津市へ向かう路線になっている。だが、元をたどれば私鉄の「北九州鉄道」が博多と伊万里を結ぶために作った路線で、戦前に国有化された。

 以前は姪浜ではなく、福岡市の中心部である博多まで線路が通っていたようだが、地下鉄開業に合わせて昭和58年に姪浜以東の線路が廃止されたらしい。その線路跡を緑道にしたのが梅光園緑道というわけだ。

10121210.jpg

 梅光園緑道は、車が入って来ない遊歩道で、エリアごとに彫刻の広場、芝生の広場、石の広場、梅の広場、松の広場など、テーマを決めて整備されている。広くて歩きやすいし、ほとんど通る人もいない。散歩にはうってつけの静かな道だ。

 残念ながら緑道の長さは約1kmしかなく「油山観光道路」と交差したところで普通の道路になる。この先、道は姪浜までつながっており、線路のあった場所がそのまま道路になっているのが分かる。地図で見ると「グリーンレールロード」という名前になっていて、こんな名前にも歴史が刻まれているわけだ。しかし、普通に車で走っている人には、近くに鉄道もないのに何故こんな名前が付いているのか、分からないんだろうなぁ。

 さて、私の方は、道路が樋井川と交差したところで進路を北に取り、以前にも通った樋井川沿いをたどることにする。前回通ったときにも書いたが、いい感じの川なのに歩道がきちんと整備されておらず、歩きにくい。道路が狭いので歩道を作るだけのスペースが確保できないんだろうが、せっかくの川沿いの道、惜しい気がする。

10121211.jpg

 樋井川は市内を通っているわりに水が透明で、川べりの雰囲気もいい。魚が時々キラリと水底で跳ねるのが見える。野鳥の方もあちこちで餌の魚を狙っている。川の両側で人間様が忙しく動き回る間に、弱肉強食の厳しい生存競争が日々繰り広げられているのだろう。

 ところで、今日行った谷地区で意外だったのは、あんなに複雑に小道が入り組んでいるエリアなのに、住宅だけでなく店があったりアパートがあったりと、ごく普通の街並みだったことだ。中には広大なお屋敷らしきものもあったが、以前分け入った赤坂地区のような感じではなかった。

 谷地区は江戸時代には侍町だったが、家老クラスが居を構えた赤坂エリアと違って、主に下級武士が住んでいたらしい。そんな経緯から庶民的な街の雰囲気を今に残しているのかもしれない。

 さすがに今日は疲れたなぁ。昨日の歩き足りない分を充分カバーした気がする。天気の方は途中から曇って肌寒い一日だったが、たっぷり運動して今日もいい散歩だった。


posted by OhBoy at 23:13| 日記

2010年12月11日

寒風吹きすさぶ芸術鑑賞

10121101.jpg

 今朝は、起きたときこそ雨模様だったが、昼に向けて天気は回復し、時折陽も差す空模様となった。ただ、前線の通過があったので強い風が吹き、散歩には快適とは言えない様子だ。でも家の中にくすぶっているのもどうかと思うので、午後からそろりと外出する。あまり遠出をするつもりはなく、近場の裏道巡りでもと思って歩き出した。

 街の中の見知らぬ裏道を歩くというのも散歩の醍醐味ではある。表通りは何度も通って知っている地区でも、一歩路地に分け入ると、まるで知らない空間が広がっている。表通りからは想像もつかない古い街並みがあったり、趣のある静かな公園があったりと、隠れた小宇宙に迷い込んだみたいな気分になる。

 まぁそんな趣向で出掛けたまでは良かったのだが、歩き始めて僅かのうちに、強風にあおられてよろけそうになる。しかもこの風が身を切るように冷たい。こりゃ選択を誤ったかと少々後悔しながら、ルートを短めに取ることにした。

 今回のスタート地点は「地行中央公園(ぢぎょうちゅうおうこうえん)」とする。ヤフードームやシーホーク・ホテルのまん前にある小ぢんまりした公園だ。ここを起点に、地行・百地エリアを歩こうという目論見だったのだが、さてどうしたものか。

10121102.jpg

 この公園、天気の良い休日にはけっこう人がいるのだが、今日は曇り空のうえ風が強いせいかガランとしている。ここにいる間にも突風が吹いて、思わず足を止め身をすくめる。こりゃ、散歩中止した方がいいかなと一瞬思ったぐらいの強烈さだが、百道側に渡って集合住宅エリアを歩けばここまで風は強くなかろうと思い直し、先を急ぐことにした。

 地行中央公園には面白いモニュメントがある。一つは松の実の彫刻だ。

10121103.jpg

 インパクトはあるが、普段ほとんど見向きもされていない気がする。作者は福岡出身の彫刻家「外尾悦郎(そとおえつろう)」だと聞くが、この人、アントニ・ガウディの代表作として知られるバルセロナの「サグラダ・ファミリア」で主任彫刻家として活躍する有名人だ。そう言われればみんな「ホォ〜」とかいって写真なんぞ撮るんだろうが、知らなきゃ黙って通り過ぎる。一般人から見た芸術の価値なんて、しょせんそんなものだろう。

 次は、みんなの目を引いて、かなり写真に撮られているんではないかと思う「大きな愛の鳥 」である。

10121104.jpg

 こちらは「ニキ・ド・サンファル」という女性彫刻家の作品で、斬新な色使いとユニークなフォルムがこの人の持ち味らしい。この下のトンネルにどういう意味があるのか分からないが、絶対に間違わない待合わせ場所として一押しの作品だ(笑)。

 この公園の中央には噴水があるのだが、強風にあおられて四方に水が撒き散らされるものだから、危なくて近寄れない。強風が吹いた時にいる場所を間違えれば、頭からずぶ濡れになる。この風の中で水に濡れたら、風邪を引くのは必至だ。

 さて、風を受けているうちに寒くなって来たので、百道側に渡ることにする。地行中央公園と百道との間には「樋井川(ひいがわ)」という大きな川があるが、ここを渡るために「ふれあい橋」という歩行者用の橋が架かっている。しかしこの橋、どういうわけだか二階建てだ。上を通っても下を通っても、行き先は同じなのだが、どうしてこうなっているのかよく分からん。

10121105.jpg

 以前にもこの橋を渡ったことがあるが、ベンチがあったりしてなかなか雰囲気のいい橋だ。単に川を渡るだけではなくて、デート用かなと思える豪華な造りで、どこかヨーロッパ風のデザインである。こうしたしゃれた建築物がこのエリアにはたくさんあって、街の景観を良くしている。都市のデザインというものを考えさせられる街並みだ。

 この橋にもちょっとした彫刻がある。ユニークな姿のウサギをモチーフにした「ミラー・ニジンスキー」である。

10121106.jpg

 このウサギの彫刻は二体あるので、「ミラー」の名前がついている。では「ニジンスキー」とは何かということになるが、これはロシアの伝説的バレエ・ダンサーの「ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー」のことらしい。驚異的な跳躍力で空中静止の離れ業を演じた天才ダンサーは、後に精神を病んでロンドンで生涯を終える。ウサギに模された彼は、この樋井川をその跳躍力で越えるということらしい。

 作品の制作者は「バリー・フラナガン」。イギリスの彫刻家で、ウサギをテーマにした数々の彫刻作品を作っている。大濠公園にある福岡市美術館にも彼の作品がある。来年は卯年なんだから、福岡発の年賀状のデザインにいいんじゃないかと思った。躍動感があって威勢が良さそうだし。

 さて、百道側に渡って、集合住宅エリアの中を散歩する。静かで風の影響もあまりない。こういう裏道は散歩には絶好だ。百道の裏道はけっこう凝ってデザインされているものが多い。もう少し先にある裏道を歩いたことがあるが、単にマンションの間の通り道にするにはもったいない設計になっていた。半分、公園というつもりだろうか。

10121107.jpg

 この辺りは、海だったところを埋め立てた土地で、1989年に市制百周年を記念して開かれた「アジア太平洋博覧会(よかトピア)」の会場跡地でもある。博覧会が終わってから整備され、今の姿になった。かなりしっかりした都市計画の下で現在の街並みが作られたんだろうなと思わせる部分が随所にある。

 このエリアには、「漢倭奴国王」の金印を展示する「福岡市博物館」や「福岡市総合図書館」、「福岡タワー」に「百道中央公園」と、様々な公共施設が集まっており、それを取り囲むように集合住宅や戸建て住宅が建ち並んでいる。

 このエリアの一角に、以前紹介した「世界の建築家通り」があるが、そこに限らず、なかなか外観のユニークなビルが多い。だが、不思議と全体として調和が取れた感じだ。街のデザインという観点から、それなりに統一されたイメージで建物が建設されて来たのだろう。どこを見ても雑然とした感じがない。

10121108.jpg

 百道の住宅街は高級住宅街とされているし、確かに瀟洒な街並みだと思うが、交通の便は決して良くない。最寄の地下鉄駅は空港線の「西新(にしじん)」になるが、歩いて行くにはちょっと遠い。バス通りが二本あるのが救いだが、路線が充実しているとは言えまい。

 東京では、交通の便が悪いところに高級住宅街がある例が多いが、これは公共交通機関を使ってよそ者が入り込んでくるのを住人が嫌うからだなんて話を聞いたことがある。その区域に住む富裕層の方々は、電車やバスなんか使わずに自動車で移動するから、どんなに交通の便が悪くても苦にならないというわけだ。

 福岡の場合はどうなんだろう。この百道や桜坂・浄水通り辺りに瀟洒な家が建ち並んでいるが、福岡のお金持ちの方々も、あえて交通の便が悪いところに居を構える傾向があるのだろうか。

 さて、風が少し収まったようなので、福岡市博物館の前庭を散歩する。開けた空間に大きな池があるが、ここでたくさんのカラスが水浴びをしている。さすがに人影はほとんどない。カラスの数の方が明らかに多いようだ。

 この博物館近くにも、面白い芸術作品がある。まずは、お向かいの福岡市総合図書館にあるふくろうの彫刻だ。

10121109.jpg

 これは愛知県出身の彫刻家「加藤昭男」の「森の詩」である。親子のフクロウが描かれ、親鳥が足で押さえ込んでいるのは蛇である。図書館の入り口に飾られているが、けっこう大きな彫刻で、躍動感ある作品だ。

 もう一つの見ものは、「百道中央公園」裏手にある。目立たないところにあるのでなかなか目に留まらないかもしれないが、4つの「サーン・プラ・プーム」が展示されている。これはタイで一般的に見られる民間信仰の祠である。

 タイは仏教国であるが、仏教とは別に古くからの精霊信仰というものがあるらしい。ピーと呼ばれる精霊があらゆるところにいて、良い精霊もいれば悪い精霊もいると信じられている。そして、自分の家にはいい精霊が居ついてくれるように、柱を立ててその上に精霊の住まいを作るのだという。それがサーン・プラ・プームである。

10121110.jpg

 上の写真は、展示されている4つのサーン・プラ・プームのうちの一つだが、見た瞬間にタイ関連の展示物だと分かるデザインだ。実に精巧に作られており見事だ。良い精霊が宿るように、立派な外観にしているのだろう。

 何故こんなところにタイの祠が4つも飾ってあるかというと、アジア太平洋博覧会をやっていたときの展示物らしい。こんなところに当時の名残があるわけだ。

 本場タイのサーン・プラ・プームには、毎日、花や果物、水などが供えられるらしいが、ここでは誰も何も供えないし、拝みもしない。これじゃあ外観は立派でも、良い精霊は居ついてくれんだろうなぁ(笑)。

 最後にインパクトのある展示品を掲載しておこう。ズバリこれだ。

10121111.jpg

 見た瞬間に分かった人は偉い。何かというとお金である。といっても、ミクロネシアのヤップ島で使われている石のお金で、これまたアジア太平洋博覧会をやっていたときの展示物らしい。お金といっても、さすがにこれを盗む人はいないだろう。いったいどれくらいの重さがあるのか知らないが、ヤップ島ではこれで何を買えるんだろうか(笑)。ちょっと楽しみではある。

 さて、そろそろ寒くなって来たことだし、家路を急ごう。今日は寒風にあおられて、散歩の方は今イチ冴えなかった。明日の天気はどんなもんだろうか。

posted by OhBoy at 23:20| 日記

2010年12月05日

室見川をさかのぼる

10120501.jpg

 今日の福岡は、朝こそ寒かったものの、昼頃にはポカポカ陽気になって来て、散歩には絶好の日和。さてどこに行こうかと思案した挙句、9月26日のブログで書いた「室見川(むろみがわ)」へ再挑戦することにした。

 室見川は福岡市の西側「姪浜(めいのはま)」の脇から海に注ぐ川で、野鳥の宝庫とか、シロウオの遡上する川とか、蛍のいる川とか、様々に自然の美しさが喧伝される清流だ。川沿いには河畔公園が整備され、お勧め散歩コースとしてよく紹介されている。また、中流から上流にかけては、自然に恵まれたのどかな景観が広がっているとも聞いた。

 前回の散歩のときは下流域だけ歩いた。位置的には最下流の室見橋から室見新橋までの1km程度だった。雨模様の日だったので、思うほどには歩けなかった記憶がある。そこで今回は、もっと上流を歩こうと考えた。

 かくして、本日の散歩の出発点は地下鉄七隈線の「次郎丸駅」という、終点の一つ手前の駅。元々七隈線自体めったに使わない線だし、桜坂駅より先は未知の領域だ。七隈線は、桜坂の2つ先の別府という駅から急カーブを描いて南に進路をとり、その先は福岡市の南端に沿って西側に走る。

 次郎丸駅は室見川の近くにあるが、この辺りは中流域という感じで、前回行った室見新橋から更に3-4km上流ということになろうか。福岡市の地下鉄駅には各々シンボルマークが付けられているが、次郎丸駅のマークは室見川にちなんで蛍である。蛍の見られる川ということだろう。

10120502.jpg

 駅の名前の由来は知らないが、この辺りには古くから庄屋や酒屋、油屋などが並んでいたようで、今でも白壁造りの旧家が残っているとも聞く。山の近くなので昔は何もなかったところだろうと思っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。

 ちなみに、この3つ前の駅に梅林というのがあるが、ここは駅のすぐそばに前方後円墳型の古墳がある。室見川流域にも古墳のあるところがいくつかあり、古くから開けていた地域なのだろう。

 スタートは、次郎丸駅近くにある「外環室見橋」からちょっと下流に寄った「乙井出堰」とする。

10120503.jpg

 外環室見橋は、下を国道202号線が通り、上を高速道路が通る近代的な橋で、この橋の先は郊外型商業区域だ。道路整備に合わせて様々な店舗が集まりつつあるが、全部が完成しているわけではなく、一部は建設中だ。あと5年もすれば、すっかり見違えてしまうだろう。

 地下鉄七隈線の終点である「橋本駅」も、そうした建設中の商業集積地域の真ん中にある。今のところはガランとしているが、駅を作った時点で将来のこの地域の発展を考えていたんだろう。でなけりゃ、わざわざ川を渡ってあんなところに駅を作らんはずだ。

 一方、室見川の流域は、そうした近代的な街とは正反対ののどかなたたずまいで、さすがに上流の方に来たなと思わせる風景が広がっている。

 外環室見橋から、上流の「河原橋」までは、広い河畔公園が整備されていて、散歩にはうってつけの環境だ。自転車は入ってこられるが、自動車は降りられない。そのわりには広々としていて、もったいないくらいの空間だ。

10120504.jpg

 外環室見橋から河原橋までの河川敷では、毎年秋に「室見川灯明まつり」という催し物が開かれるようだ。地元の人たちがやっているお祭りのようで、河畔公園に灯明をともして夕涼みがてらみんなで河原に出て来て楽しむという趣向らしい。これくらいの広さがあれば、そんなイベントも可能だろう。

 河原橋まではあっという間に着いてしまう。車も通らないこうした散策道は、いくらでも歩ける。海岸線を歩いているときと同じだ。岸辺では釣りをする人たちがのんびりと竿を垂れ、川面にはたくさんの野鳥が集う。そうした光景を見ながら歩いていると、あまり距離を感じない。

 河原橋で、一旦堤防の上に上がる。堤防の西側には、地下鉄七隈線の車両基地があり、たくさんの地下鉄が並んでいる。

 ところでこの橋には、欄干にかわいらしいカッパの像が乗っている。橋のたもとの解説板を読むと、昔この辺りにカッパが住んでいたという伝説があるらしい。

10120505.jpg

 のどかな川の様子を見ていると、そういう話があっても不思議はない気がする。河原橋周辺には今でも砂州や葦の原があって、昔なら川沿いに色々な動物も出没したのだろう。餌の魚を捕ろうとしていたカワウソか何かを見間違えて、カッパ伝説になったのではないか。

 橋の中央から川を覗いてみると、水の透明度の高さに驚く。室見川は福岡市内の河川の中では、透明度で1、2位を争うと聞くが、これだけ水が澄んでいると、魚もおちおち泳いでいられないのではないか。とにかく、至るところで野鳥を見かける。野鳥好きには絶好の観察スポットだと思う。

10120506.jpg

 河原橋を越えると、川の表情は益々のどかになる。もう福岡市内とは思えない風情だ。先ほどのような立派な河畔公園こそないが、散策用の舗装された道が川沿いに整備されている。今日は特に目標も定めず、歩き疲れたら戻って来ようと考えていたが、取りあえず、河川敷の散策道が尽きるところまで川を遡ってみることにした。果たしてどこまで行くことになるのやら…。

 もうこの辺りでは、釣りをする人もいないし、子供を遊ばせる家族連れもいない。時折、ジョギングをしている人や、自転車に乗っている人とすれ違う程度で、実に静かな道だ。橋から少し離れると車の音も聞こえない。時折鳴く野鳥の声が河原に響く程度か。

10120507.jpg

 ほどなく「田村大橋」に着く。この先には堰があって、水の流れが変わるせいか、川の様子もガラリと趣を変える。田舎の川に来たという感じだ。場所によっては大きな岩がゴロゴロ転がっていて、渓流のように水の流れがうねっている箇所もある。

 この辺りで、歩き始めてから約2km上流に遡った感じか。周囲の山々が近く見えるし、堤防沿いに高い建物もあまり見当たらない。下流だとマンションがたくさん建っているが、ここまで来ると、堤防沿いは一戸建てか田畑となる。

10120508.jpg

 田村大橋を越えて堰のところまで来ると、川は再びゆったりと流れるようになる。周囲は、畑や田んぼが時折見える近郊農業地帯だ。堤防の向こうにJAのマークが見えたりして、福岡市内ではなかなか見掛けない光景だ。

 もうすれ違う人もいない道を、一人のどかに歩く。誰もいないわりには散策道だけはきちんと整備されていて感心する。実に贅沢な散歩だと思う。

 東京でも週末ごとに散歩に出掛けていたが、人とすれ違わないなんてことは、めったになかった。路地裏や住宅地の中に入ってしまえばそれもあるかもしれないが、これだけ開けた場所で、立派な遊歩道を一人で占領しながら静かに歩くなんて、東京では望むべくもないだろう。

 しかし、この道はいったいどこまで続いているのかと、少々不安になってくる。

10120509.jpg

 やがて「矢倉橋」を越え、川は少しずつ細くなる。再び堰があるようで、河原には大小の岩が無数に転がっている。遠くに次の「松風橋」が見え始めたので、あの辺りに堰があるのだろうと見当を付ける。

 室見川の下流の様子を知っている身にとって、この辺りの景色は同じ川とは思えない。川というのは面白いものだと思う。数キロ遡ればこんなにも表情が変わる。

10120510.jpg

 と思って歩いていたら、突然道が途切れた。堰の手前で唐突に散策道は終わっていた。

 少なくとも、松風橋までは道が続いているのだろうと思ったが、そうではなかった。仕方ないので、堤防に上がれる一番近い階段まで引き返し、堤防の上を歩いて松風橋に向かう。

10120511.jpg

 ここからあと1-2km行けば、川は山沿いを走るようになる。本当の上流地帯だ。松風橋のたもとからその上流の様子を伺う。河川敷に道はないものの、堤防の上には自動車道が続いている。ただ、歩道もない狭い道なので、この先歩いても自動車を気にしながらの道行きとなろう。

 まぁ3kmはしっかり歩いただろうから、帰り道を考えてそろそろ引き返した方が良かろう。最後に松風橋から上流の風景を撮った。如何にも味わいのある河川風景だ。このまま上流を目指して歩けば、更に風景は変わって面白かろう。それを考えるとちょっと惜しい気もする。

10120512.jpg

 室見川の上流は、福岡市の南にそびえる山々に分け入り、やがて「曲渕ダム(まがりぶちだむ)」に達する。このダムは大正時代に造られたものだが、これが福岡市の水源である。

 この曲渕ダムのある湖の脇を、福岡市から佐賀市に抜ける国道263号線が通っており、仕事で佐賀県に行く際にダムの脇を通ったことがある。とてもきれいな湖で、紅葉の名所でもあるらしい。

 曲渕ダムを通り過ぎて佐賀県に入った辺りに「三瀬(みつせ)」という村があるが、ここはたくさんのそばの名店があって、毎度こんでいる。別名を「そば街道」ともいうが、休みともなると近隣からそばを求めてたくさんの人々が訪れると聞く。

 私も一度、山の中にある「無声庵」という店で食べたことがあるが、そばもさることながら、周囲の鄙びた風景が実に良かった。ちょうど紅葉の季節だったこともあり、美しい景色を眺めながら頂くそばはおいしかった。

 さて、そろそろ日も傾いて来たので引き返すことにするか。最後に、川べりで見た野鳥の姿でも掲げておこう。

10120513.jpg

 今日は、往復7km程度はしっかり歩いたことになるか。空気も新鮮で、のどかな風景と野鳥の姿に、心身ともにリラックスできた。東京じゃあこんな贅沢な散歩、とうてい無理だろうからな。

 天気も良かったし、本日も良い散歩だった。

posted by OhBoy at 23:23| 日記

2010年12月04日

博多の食べ物あれこれ

10120401.jpg

 先週末は東京に帰っていたものだから、福岡での散歩はお休みだった。もっとも東京では、久しぶりに人がいっぱいいるところを歩いたから、それなりに運動になったし、健康管理にも役立ったはずだ。人ゴミの中を右往左往してストレスの方は確実に増えたが…(笑)。

 今日は、腰の調子がほとんど元に戻ったので、朝から懸案の掃除に取り掛かる。そして毎週恒例の洗濯。この2つで午前中の大半の時間を使う。もう年末の大掃除が終わった気分になった(笑)。午後は所用で天神まで出掛けていたものだから、本格的な散歩はなし。でもまぁ探し物を見つけるべく天神をかなり歩いたかな。

 そんなわけで散歩の話はないのだが、前から書こうと思っていた食べ物の話題について触れてみたいと思う。

 他の地域からやって来た人間は、たいていその土地の食べ物に興味を示す。特に私のような単身者だと外食が増えるので、珍しい現地の食べ物に触れる機会が多い。そんな経験から、へぇ〜と感じたことを思いつくまま書いてみたい。

 ちなみに冒頭の写真の柿は、たまたまもらったもので、福岡の食べ物というわけではない。まぁ立派な柿だったから写真に撮ったまで(笑)。

 福岡市の南方にある朝倉市に住む同僚からの差し入れで、甘木の柿である。朝倉といえば三連水車で有名なところだが、野菜だけでなく果物の栽培も盛んだと聞く。柿も有名な産地があるらしく、立派なものが採れるらしい。まずはその大きさに驚く。これよりも大きいものもあるという。見た目だけでなく、味の方も美味。よく考えたら、柿なんて久しぶりに食べる。


■ めんたいこ

 福岡といえば、誰でも頭に思い浮かべるのが辛子明太子だろう。福岡には様々なめんたいこメーカーがあり、いったいどれが一番おいしいのか見当が付かない。地元の人に聞いてみても意見はまちまちで、私自身もそれを判別できるほどには食べ比べたことがない。

 スーパーに行けば切れ子の状態で安くで売っており、地元の人に聞くと、自分の家で食べるときにはそうした切れ子の安いものを買っているということだった。観光客が買って帰るようなブランドもの(?)は、地元の人の食卓にはそうそう乗らないらしい。

 変り種としては、ゆず風味のめんたいこがあって、地元でもけっこう人気が高いと聞く。ぼちぼちと観光客にも知られているらしく、東京からの出張者より、みやげ物として買いたいとのご指名を受けることもある。

 ところで、めんたいこの原料はスケトウダラの卵巣で、これを塩漬けしたものがたらこ、唐辛子で味付けしたものがめんたいこ、というのは誰でも知っている。しかし、スケトウダラが獲れるのは北海道や東北であり、福岡とは縁がないはずだ。現にたらこが有名なのは北海道であり、九州でたらこの有名メーカーというのは聞いたことがない。なのに、めんたいことなるとどうして福岡なのか。

 この素朴な疑問を地元の人に訊いてみたことがある。そうしたら面白い話をしてくれた。

 現在のめんたいこの製法を開発したのは「ふくや」の創業者らしいが、この人は製法特許を取らず、逆に自分で編み出した製法を紙に書いて広く無料配布したという。お蔭で福岡に次々とめんたいこメーカーが出来て、市の一大産業になったわけである。

 たった一人の人間が全国に名を知られる産業を町に作るというのは素晴らしいことだと思うし、金勘定ばかり重視する商売人が多い中で、博多商人の心意気を感じさせる良い話だと思った。そんなわけで、元祖めんたいこは「ふくや」ということになるのだろう。

 そのふくやのめんたいこ関連商品の中で、我が東京本宅で絶賛されているのが「博多明太味ごま」である。値段も安く、一袋300円。下の写真を見て中身が少なそうだなと思われるかもしれないが、それは私が食べたからだ(笑)。

10120402.jpg

 なかなか見かけない商品で、よそ者の私の方が逆に地元の人に紹介したことまである(笑)。よく売られているめんたいこのふりかけよりおいしいと思うが、扱っている店舗が少ないのが惜しい。


■ ゴマさば

 福岡は魚が新鮮なのが自慢で、他ではなかなかお目にかかれない刺身が、ごく普通に食べられる。夏場に食べた太刀魚の刺身はコリコリしていておいしかったが、これとて近所の魚屋で400円だった。

 他にはトビウオの刺身やら、アナゴの刺身やら珍しいものを見掛けるが、最近スーパーに並んでいるものを見ると、サンマの刺身やクジラの刺身がある。北九州では、普通にクジラを食べる習慣があるらしい。魚屋の看板にも「鯨」の文字を見ることがある。

 だが、この季節に飲食店でよく見かけるご当地定番メニューと言えば、「ゴマさば」ということになる。

 福岡にさばの刺身があるのは聞いていた。普通さばは傷みが早いので、酢でしめてしか食べない。しかし、福岡は魚が新鮮なので、さばもそのまま刺身で食べられる。特別な店に行かなくとも、普通にスーパーで売っているのである。しかも3-400円で一家四人分買える。

 秋口から出回り始めたので、物珍しさも手伝って、早速買って来て刺身醤油で食べた。脂が乗っていておいしいと思ったが、あるとき昼ご飯に行く際、「ゴマさば」のうまい店に行きましょうとの誘いに乗って出掛けて驚いた。食べ方が違っていたのである。

 さばの刺身を醤油で食べるのではなく、たれに漬した状態でご飯の上に振りかけ、混ぜて食べる。決して上品な食べ方ではないが、これがなかなかうまい。

 たれは醤油とみりんを混ぜたものにゴマをたっぷり入れてある。ははぁ、それでゴマさばと言うのかと、そのときになって気付いた。私がスーパーでさばの刺身を買ったときには、刺身の上にゴマが少しかかっていたので、ゴマを振り掛けたさばの刺身のことをそう呼んでいるのだと勘違いしていた。

 聞けば家庭でも普通に作る料理らしく、冬の郷土料理という位置づけだ。酒の肴にも向いているので飲食店でも出すが、やろうと思えば簡単に作れそうだ。「各家庭ごとに代々伝わるたれのレシピでもあるの」と地元の人に訊くと「適当に醤油とみりんを混ぜているだけですよ」という答えが返ってきた。

 で、料理の腕前はさっぱりの私も、そんなに簡単なら一度作ってみようかと挑戦。さばの刺身は安いので、コストをかけずに楽しめる冬の料理として、レパートリーの一つにしようという目論見だ。但し、新鮮なさばの刺身が手に入ることが条件なので、福岡でしか食べられないのが残念だが…。

10120403.jpg

 上が自作のゴマさば。見た目は店で見るのと同じだが、食べた感想を言えば、やはり料理屋で食べるゴマさばの方がうまい(笑)。当たり前といえば当たり前だが、たれのレシピが違うのだろう。醤油とみりん、ゴマのほかに、きっと何か入っているに違いない。それを探求して、更に磨きをかけるほどの料理の才能がないのが残念だ。


■ シュガーロード

 こちらに来て気付いたのだが、福岡、佐賀、長崎は甘味の産地でもある。長崎のカステラは誰でも知っているが、今では全国ブランドになっている森永やグリコの創業者は佐賀県出身だし、東京のお菓子だと思われている「ひよ子」も福岡県生まれである。

 では何故、この地方がお菓子の一大産地になったかというと、おそらく二つの理由がある。一つは、長崎から小倉まで続く「長崎街道」の存在である。

 お菓子というのは日本原産ではなく元は海外からもたらされた。最初に上陸したのは長崎で、そこから長崎街道を通って本土に伝播して行った。元々日本になかった砂糖が伝わったのも海外からで、入手が困難だった時代でも、長崎街道沿いは砂糖が手に入りやすかったと伝えられている。長崎街道は別名を「シュガーロード」と言い、地の利をいかして街道沿いに多くの菓子メーカーが生まれた。

 菓子文化が花開いたもう一つの理由は、明治以降、筑豊地方が石炭生産の一大拠点として栄えたことにある。

 炭鉱夫は危険な職業だった分、収入は良かったという。しかも今日もらった給金を貯金したって、明日は落盤事故で死ぬかもしれない。そのため、宵越しの金は持たない主義の人も多く、夜は酒を飲みに出掛けて派手に散財したとも聞く。ただ、酒好きの反面、肉体労働のため、甘いものも好きだったようだ。そのため、筑豊の飯塚市を中心に周辺に菓子メーカーがいくつも出来た。

 全国的にも有名な「ひよ子」は飯塚で生まれたお菓子で、今でも本店は商店街の中にある。他には「千鳥饅頭」の「千鳥屋」があるほか、隣の田川には「チロルチョコ」の「松尾製菓」が本店を構えている。ちなみに田川というのは、炭坑節発祥の地で、歌詞に出て来るレンガ造りの二本煙突は今でも残っている。

 こちらでよく聞く話だが、東京からの出張者が、東京の銘菓ですと「ひよ子」をみやげに持ってくると、福岡の人が苦笑しながら言う。思えば、東京の歴史的銘菓なんて、浅草の「雷おこし」や「人形焼き」くらいしかないのかもしれない。

 「ひよ子」に限らず、九州のお菓子は全国レベルで出回っているものが多く、たいていどれでも東京や大阪のデパートで手に入る。だから東京の人が間違うわけだが、逆にこちらから東京におみやげに持って帰るとなると、どれがいいか迷うことが多い。そんなときの救世主として、一つだけ他で売っていないものがある。「博多通りもん」である。

 これは「明月堂」という福岡の菓子メーカーが作っている饅頭だが、和洋折衷の柔らかな甘味で大変おいしく、持って行くとだいたい好評を博す便利なみやげ物である。一日25万個売れるという驚異的な人気商品ながら、会社の方針で、福岡以外では売らないことになっている。こういうお菓子が地元に一つあるとありがたい。何でも全国展開すればいいもんじゃなかろう。


10120404.jpg

 さて、暦は巡り師走となった。今日天神に出掛けたら、もうクリスマス一色で、買い物客も多かった。12月に入ったので一斉に歳末セール突入ということだろう。

 福岡にやって来て右往左往しながら生活しているうちに、あっという間に年末である。月日の経つのは本当に早い。最初は見知らぬ街だったが、今ではよそ者の私の方が、地元の人より福岡のことに詳しくなった面がある。実に不思議なことだが、案外自分の生まれ育ったところというのは慣れ親しみ過ぎて、色々なものを見落としてしまうのだろう。

 さて、明日はどこに行こうか。

posted by OhBoy at 23:02| 日記