2011年07月06日

さよなら福岡

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 突然のことではあるが、急遽東京に戻って来いとの命令が来て、このたび福岡を去ることになった。もう少しこちらにいるだろうという予想だったのだが、1年も経たずして福岡を離れることになる。辞令一本で東へ西ヘ。サラリーマン稼業というのはこういうものだ。

 単身赴任となると何かと不自由なことが多いので、東京に帰ることが決まると喜ぶ人が多いのだろうが、住みやすい街であったぶん、少々後ろ髪を引かれるところがあるのは事実だ。

 生活能力もない身で初めての単身生活を見知らぬ土地で送ることになり、来た当初はどうなることやらと心配もしたが、地元の人は皆さん、明るく開放的で温かく迎えてくれた。仕事で出会って親切にして頂いた方々には、いくら感謝してもし足りないくらいだ。お蔭で楽しい一年を過ごすことが出来た。

 東京の家族や実家の両親に対して、週末便りのつもりで書き出したブログだったが、結局散歩と読書の日記になってしまった。まぁ実際のところ、それぐらいしかしなかったのだが、福岡のあちこちを歩いて回ったのは実に楽しい思い出だ。東京でもたいてい週末は散歩に出掛けていたが、こちらの方が歩きがいのあるコースが多かった。あちこち見て回って、本当に良い街だと思った。

 もう一度この街に赴任して暮らすことはないと思う。そういう意味で、まさに一期一会の滞在だったが、他にも可能性のあった様々な転勤先候補の中で、偶然にせよ福岡に来ることが出来て良かったと思っている。

 最後に残念だったのが、博多祇園山笠で舁き山笠が市内を疾走するところが見られなかったことだ。「博多手一本」で福岡単身生活を締めたいところだが、それもかなわぬ夢となった。


「別るるや 夢一筋の 天の川」(夏目漱石)


 福岡の皆さん、さようなら、そしてありがとう

posted by OhBoy at 23:35| 日記

2011年07月03日

飾り山笠探訪

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 今日は起きたらどんよりとした曇り空。昨日と同じような天気だが、今日の方が心なしか空が明るい。パソコンを立ち上げてインターネットに接続し、ニュースを見がてら天気予報をチェックすると、昼にかけて雨との予報だ。

 何はともあれ、午前中は掃除にいそしむ。掃除機かけに始まって、風呂とトイレを掃除した後、珍しく窓拭きをする。実は、ずっと窓を拭いていなかったので、最近は雨が降っているかどうかを部屋の中から確認できないほどになっていた。薄汚れた窓から外を眺めてもう止んだろうと階下に下り、外に出た途端まだ小雨が降っていたりすると、ガックリ来て傘を取りに上がることになる。梅雨になる前にやっておけば良かったと悔やんでいたので、ベランダに出てせっせと窓を拭いた。ピカピカにはならなかったが、まぁこんなもんか(笑)。

 今日は色々用があるので、昨日のようにのんびりと山笠見物に出掛けていられない。所用で午後に外出したついでに、Yahooドームまで足を伸ばす。実はこんなところにも飾り山笠があるのだ。


■福岡ドームの13番飾り山笠

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 表が「鷹昇快進撃(たかのぼるかいしんげき)」で、見送りは「奮戦箙の梅(ふんせんえびらのうめ)」である。

 「鷹昇快進撃」については、説明の必要はなかろう。場所柄から言って、これが表に来ないと始まらない。ご存知、福岡ソフトバンクホークスの快進撃を題材にしている。大阪の南海ホークスに始まって、ダイエーホークス、ソフトバンクホークスと名前は変わって来たが、今や福岡になくてはならないチームとなった。交流戦優勝で勢いをつけて、このまま一気に駆け抜けたい若鷹軍団だが、さてどうなるだろう。

 「奮戦箙の梅」は、源平の戦いの中でも名高い「一の谷の合戦」を題材にしている。福原と須磨で行われた戦いで、源義経がわずか70騎を率いて背後から平家の陣を衝いた「鵯越の逆落とし」で有名である。この山笠で描かれているのはその場面ではなく、源氏方の「梶原景季(かじわらかげすえ)」が箙(矢を入れる筒)に梅の花の枝を挿して「梶原の二度駆け」と呼ばれる奮戦をした様子を描いている。


 さてここで、昨日帰り際に、天神に立ち寄って見学した飾り山笠の紹介もしておこう。天神地区は博多の外なので流とは関係ない。従って、飾り山笠のみが展示してある。

 まずは地下鉄空港線の天神駅近くから見始めて、南に下りていったので、その順番で紹介する。


■新天町の9番飾り山笠

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 新天町は、天神から延びる地上の商店街である。アーケードがあって雨でも気にせず買い物が出来る。ここの一角に飾り山笠が飾られているが、これはちょっと観光客には分かりにくい場所かもしれない。

 表が「疾風迅雷六文銭(しっぷうじんらいろくもんせん)」で、見送りは「アニメ美食屋トリコ」である。

 「疾風迅雷六文銭」は、昨日見た櫛田神社の番外飾り山笠「智将疾風関ヶ原(ちしょうしっぷうせきがはら)」と同じく、真田幸村を題材にしている。六文銭は真田家の家紋だ。幸村の名を後世に知らしめた最大の活躍場面は大坂夏の陣で、このときわずか50騎を率いて徳川家康の本陣まで攻め込み、旗本勢を蹴散らして徳川家康に切腹を覚悟させたと言われている。後一歩のところで反撃に遭い、その後四王寺近くで討たれる。

 「アニメ美食屋トリコ」が何なのかは、私全く知りません(笑)。よってコメント不能。


■ソラリアの17番飾り山笠

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 ソラリアプラザの1階の吹き抜けに飾られている。ここも、ちょっと観光客には分かりにくいかな。いっそのこと、横の警固公園に飾れば目立つのにと思う。でもスポンサーはあくまでもソラリアだから、公共空間には置かないんだろうなぁ。

 表が「怪力相撲日田殿(かいりきすもうひたどん)」で、見送りは「勇者ライオンズ」である。どちらもスポーツものだ。

 「怪力相撲日田殿」は、大分県日田市出身と伝えられる伝説の力士「大蔵永季」を題材にしたもので、その渾名が「日田殿」らしい。角界では有名な存在と聞くが、私は寡聞にして知らぬ。平安時代の力士なので、多分に神格化されているのだと思う。現在の相撲は八百長問題以降ふるわないが、何とか立ち直って欲しいものだ。

 「勇者ライオンズ」は、かつて地元球団だった西鉄ライオンズを題材にしている。戦後すぐに誕生して、高度成長期に大活躍した有名球団だが、黒い霧事件で失速し、やがて西武に買収され福岡から去ってしまう。西鉄ライオンズ全盛期に福岡市民が足しげく応援に通ったのが福岡城址にある旧平和台球場だ。今球場跡に行くと「夏草や兵どもが夢の跡」という感じがする。


■天神一丁目の11番飾り山笠

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 もう一つ天神の繁華街にある飾り山笠は、大丸横の「エルガーラ・パサージュ広場」に鎮座ましましている。その様子が、このページの冒頭の写真だ。広場全体が巨大なアーケードに覆われているので、雨が降っても問題なく見学が出来る。でも、アーケードの端から外を覗くと、かなり本格的に雨が降っていた。

 表が「季長元寇之武勲(すえながげんこうのぶくん)」で、見送りは「尊氏多々良浜誉(たかうじたたらはまのほまれ)」である。

 「季長元寇之武勲」は、元寇時に活躍した肥後の御家人「竹崎季長(たけさきすえなが)」に題材を取ったものだ。蒙古軍の上陸を許した文永の役の際、博多の街で一番駆けの武功を立てたにもかかわらず恩賞がなかった季長は、自費で鎌倉まで赴き幕府に直訴する。そのかいあって肥後の海東郷の地頭に任じられた。彼の活躍ぶりを描いた「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」が有名だ。

 「尊氏多々良浜誉」は、福岡市東区を流れる多々良川で、一旦九州に敗走した足利尊氏と、肥後の菊池一族を中心とした九州の御家人連合軍が激突した時の合戦を題材にしている。足利軍の十倍の兵力を擁する菊池軍は当初戦いを有利に進めるが、裏切り者も出て最後は足利尊氏が勝利した。これにより九州の御家人を味方につけた足利軍は体勢を整えて再び上洛し、湊川の戦いで楠木正成を破ることとなる。


 実は、渡辺通り沿いに南下し、住吉通りとの交差点まで行くともう一つ飾り山笠が見られたのだが、雨が本降りになったので諦めた。あそこまで地下道がつながっていたら行くのになぁと、少々残念だった。

 これで昨日・今日と合わせて合計10の飾り山笠を見たことになる。残りは4つだが、各地区にポツポツと散らばっているため、まとめて見に行くのは無理だ。機会があれば一つずつ見ることにしよう。


posted by OhBoy at 23:29| 日記

2011年07月02日

博多祇園山笠始まる

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 今日は起きたらどんよりとした曇り空。しかも湿度がかなり高くて、扇風機なしではいられない蒸し暑さだ。いつ雨が降ってもおかしくなさそうな雲行きだったので、本日の洗濯物は乾燥機に直行することになった。仮に雨が降らなくとも、この湿気だと乾きは遅そうだ。

 6月末に九州南部は梅雨明けしたと発表されたが、福岡はまだのようで、来週あたり天気が再び崩れると言っている。終わりそうで終わらない梅雨。しかし、節電が叫ばれる中で本格的な猛暑が来ても良いかとなると、何とも痛し痒しの話だなぁ。

 「7月になったら博多の街は山笠一色ですから」と地元の人に言われていたが、確かに地元のニュースにはその種の話題が多くなった。博多祇園山笠が大好きな地元の人のことを「山笠のぼせ」と言うらしい。まぁどんなお祭りにも、地元に熱烈なフリークはいるものだ。

 博多祇園山笠は、博多の総鎮守である「櫛田神社(くしだじんじゃ)」のお祭りで、毎年7月前半に行われる。かれこれ700年以上の歴史があり、国の重要無形民俗文化財に指定されていると聞く。全国的にも有名な夏祭りの一つだろう。

 この季節には全国各地で夏祭りが行われるが、由来は様々である。今回の東日本大震災で被害を受けた東北地方では、「青森ねぶた祭」「秋田竿燈まつり」「仙台七夕まつり」が三大祭りとされているようだが、青森ねぶた祭は坂上田村麻呂の蝦夷征討時のお囃子が起源らしいし、秋田竿燈まつりや仙台七夕まつりは七夕行事そのものだ。一方、京都の祇園祭も夏祭りの代表格だが、こちらは平安時代に疫病がはやった際の祈祷が始まりとされている。ちょっと挙げただけでも起源は多種多様だが、博多祇園山笠は京都の祇園祭と同じく、疫病退散の厄払いに由来があるらしい。

 以前訪れたことがある博多の「承天寺(じょうてんじ)」の開祖に「円爾(えんに)」という僧侶がいる。鎌倉時代の人だが、「聖一国師(しょういちこくし)」という名前の方が地元では有名かもしれない。この僧侶は、博多に疫病が流行した際、疫病退散を祈願して、町衆が担いだ施餓鬼棚に乗って祈祷水をまいて回ったらしいのだが、これが博多祇園山笠の始まりという説が有力だ。従って、博多祇園山笠は櫛田神社のお祭りだが、承天寺に行くと「山笠發祥之地」の石碑があるし、各山笠は承天寺に立ち寄るコースを取る。神仏混合時代のちょっと面白い話だと思う。

 さて、本来の博多祇園山笠は、「流(ながれ)」と呼ばれる博多の各町が飾りを付けた山笠を担いで練り歩くものだったようだが、流同士のいさかいが元で、担いで歩くのではなく、担いで走るようになり、山笠も飾りを付けた巨大なものと、実際に担いで走る小ぶりなものとに分かれたようだ。前者の飾り付きの豪勢な山笠を「飾り山笠」と言い、担いで走るための後者のものを「舁き山笠」と言う。「舁(か)く」というのは、時代劇に出て来る「駕籠かき」と同じく、担いで歩いたり走ったりする行為を指している。

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 上の写真が実際の舁き山笠だが、これが市内を回るのはまだ先のことだ。ただ飾り山笠の方は、博多祇園山笠の開始初日である7月1日、つまり昨日からそれぞれ所定の場所に飾られたようなので、本日はそれを見に行こうと思い立って家を出た。歩き出した途端にパラパラと小雨が降って来る。まぁこの空模様では仕方ない。

 飾り山笠は、全て博多人形師が手掛けていて、見た目あでやかで美しいものだ。そのうえ巨大で、商店街に飾ってあると、上がアーケードの天井につきそうになっている。

 博多祇園山笠に参加して「舁き山笠」を出している流、つまり町会は計7つある。「西流(にしながれ)」「千代流(ちよながれ)」「恵比須流(えびすながれ)」「土居流(どいながれ)」「大黒流(だいこくながれ)」「東流(ひがしながれ)」「中洲流(なかすながれ)」だが、実は展示される飾り山笠は14ある。飾り山笠を出している母体と、「舁き山笠」を出している流とは、重なっている部分もあるが、別の場合もあるようだ。このあたりはよく分からないが、飾り山笠にかかる費用の問題が絡んでいるのだろうか。

 雨模様の中を一度に14の飾り山笠を見に行くのは大変なので、本日のところはアーケードや屋内など、天気を気にしなくても良い中洲から川端にかけての飾り山笠を見るに留める。まずは、地下鉄空港線の中洲川端駅で降りて、中洲側に出る。中洲流の飾り山笠から見学スタートだ。


■中洲流の7番山笠

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 中洲流は、飾り山笠と舁き山笠の両方を出している。飾り山笠には、表と裏と両方博多人形が飾られている。裏の方は「見送り」と言うらしい。上の写真で言えば、左側が表、右側が見送りとなる。一見しただけでは前後の見分けがつかない。前後両方とも美しい飾付けだ。

 この山笠の場合、表が「攻防千早城(こうぼうちはやじょう)」で、見送りが「老公妙案救天下(ろうこうみょうあんてんかをすくう)」である。

 「攻防千早城」は、楠正成を主人公にしたもので、後醍醐天皇に味方して鎌倉幕府軍と戦った正成が、大阪南部にあった千早城に僅かの兵とともに篭城し、幕府軍相手に英知の限りを尽くして奮戦したエピソードが題材になっている。こうした飾りごとの解説は、それぞれの山笠のところに付けられていて、どの人形が誰を指しているかも説明してある。なかなか親切な設えだ。

 「老公妙案救天下」の老公というのは、ご存知水戸のご老公「水戸黄門」のことである。助さん、格さん、八兵衛と天下漫遊の旅を続けたのはテレビの中だけらしいが、これだけ有名なご隠居も他におるまい。

 この飾り山笠は、歓楽街中洲の中に飾られているが、福岡市外から訪ねて来た観光客にはちと場所が分かりにくいのではなかろうか。お蔭で見物客はまばらであった。


■博多リバレインの10番飾り山笠

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 表が「博多乃豪商(はかたのごうしょう)」で、見送りが「天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)」となる。

 「博多乃豪商」は、島井宗室、神屋宗湛ら博多にゆかりの豪商を主役にしたものだ。博多リバレインは複合ショッピング施設なので、巨万の富を築いた商売の天才にあやかろうということだろう。確かに、豪商にあやかりたくなるくらい売上げが振るわないという噂を聞いたことがある。天神地区だけでなく、JR博多シティーという強敵まで現れて、そのうえ原発騒ぎで海外からの訪問者が減ったとなれば、神頼みしたくなるのも人情というものだろう。

 もう一つの「天璋院篤姫」は、博多リバレインにある「博多座」で7月公演として国仲涼子主演で天璋院篤姫をやっているので、その宣伝を兼ねてのことだろう。

 博多リバレインは、いわゆる流ではないので、飾り山笠のみで舁き山笠は出していない。

 さてここからは、リバレインのお向かいにある川端商店街のアーケード内を進む。この先暫く雨の心配は要らない。


■川端中央街の16番飾り山笠

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 表が「戦国の女江(せんごくのおんなごう)」で、見送りが「ドラえもん」である。

 「戦国の女江」は現在NHKの大河ドラマでやっているが、私は途中から見なくなってしまった。少女マンガを実写でやっていると割り切ればそう問題はないのかもしれないが(笑)、これがあのNHKの大河ドラマかと構えて見ると、やってられないわという感じになって、見続ける意欲を失ってしまう。まぁでも新たなファンを増やすという意味では、たまにはこんな大河ドラマもいいのかもしれない。

 「ドラえもん」は、もはや説明する必要もなかろう。こりゃ絶対子供に受けるよ。実際この山笠の前の「子供人口密度」は高かった。

 川端中央街も流ではないので、飾り山笠のみで舁き山笠は出していない。

 商店街を櫛田神社に向けて下って行くと、もう一つ山笠が飾られている。


■上川端通の8番飾り山笠

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 表が「京一条戻橋(きょういちじょうもどりばし)」で、見送りが「秀吉賤ヶ岳合戦(ひでよししずがたけのかっせん)」である。

 「京一条戻橋」は、平安時代の武将「渡辺綱(わたなべのつな)」が、京都の一条戻り橋で美女に化けた鬼の腕を切り落とした逸話を題材にしている。渡辺綱は、丹波の大江山に棲む酒呑童子を退治したことでも有名で、切り落とした鬼の腕を、当の鬼が女性に化けて取り戻しに来るという構成は同じである。そんな話を聞くと架空の人物のようだが、実在の人である。ちなみに、東松浦半島に名を残す九州の水軍松浦党は、渡辺綱の遠い子孫にあたる。

 一方「秀吉賤ヶ岳合戦」は、信長の死後に覇権を争った羽柴秀吉と柴田勝家が賤ヶ岳で行った決戦を描いている。そういえば、この賤ヶ岳合戦は、NHK大河ドラマの「江〜姫たちの戦国〜」にも出て来たな。

 上川端通も、いわゆる流ではないので、飾り山笠のみで舁き山笠は出していないが、何とこの飾り山笠は、舁き山笠と同様に人が担いで曳き回すらしい。唯一の「舁き飾り山笠」である。こんな巨大なものが、実際に動くのだろうか。ちょっとビックリした。


■櫛田神社の番外飾り山笠

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 川端商店街が途切れたところに櫛田神社がある。ご存知、博多祇園山笠の中心である。

 飾り山笠は7月1日から2週間だけ福岡市内各所に飾られるが、祭りの主催者となる櫛田神社境内には、年間を通じて飾り山笠が展示されている。今回、新しいものに変わったようなので覗いてみた。

 お祭りの期間に入ったので、境内には露店が並び、「追い山笠」を見るための桟敷席も設えられている。各流の舁き山笠が、7月15日午前4時59分に櫛田神社に集まり、一番山笠が博多祝い唄を歌ったあと、博多の街に繰り出す。博多祇園山笠は「追い山笠」と呼ばれるこのクライマックスに向けて積み上げられていくが、それに参加するためには桟敷席で見るしかない。ちなみに、今年の桟敷席のチケットは何と13分で完売したらしい。

 番外飾り山笠の表は「智将疾風関ヶ原(ちしょうしっぷうせきがはら)」で、見送りは「神話天之岩戸譚(しんわあまのいわとたん)」である。

 「智将疾風関ヶ原」の智将とは、真田昌幸・幸村親子のことを指すらしい。関ヶ原から大坂冬の陣・夏の陣と、知略と果敢な攻めで徳川方を苦しめた真田軍の活躍を題材にしている。

 「神話天之岩戸譚」は誰でも知っている神話の一節を題材にしたものだ。天岩戸伝説は、太陽神である天照大神が岩屋の中に隠れて世界が真っ暗になったという話で想像できるように、皆既日食を元にした伝説だというのが一般的な解釈である。でも、その岩屋跡というのが宮崎県の高千穂町に残っていて、「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」というのが建っている。私は行ったことがないが、この神社のご神体は、文字通り天岩戸という洞窟である。


■キャナルシティ博多の15番飾り山笠

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 櫛田神社の脇からキャナルシティに入る。今回の飾り山笠の中で一番見てみたかったのがこれである。いや飾り山笠の出来の問題ではなく、あの近未来的なキャナルシティのど真ん中に、古式ゆかしい飾り山笠がドーンと立っている姿を見てみたかったのである。その様子は、このページの冒頭の写真でご紹介した。何とも圧巻である。

 表が「流星光底逸長蛇(りゅうせいこうていにちょうだをいっす)」で、見送りは「武勲桃太郎(ぶくんももたろう)」である。

 「流星光底逸長蛇」は川中島の戦いにおける武田信玄と上杉謙信の一騎打ちを描いたものだ。川中島では都合4回戦いが行われたが、一騎打ちは4回目の合戦の際にあったと「甲陽軍鑑」には書かれている。上杉謙信は「鞭声粛々夜河を渡る」で有名な隠密渡河で武田軍の近くに忍び寄り、朝霧が晴れると車懸りの陣で武田軍を襲う。虚を衝かれた武田軍の本陣が手薄になった時に、上杉謙信が単身乗り込んで武田信玄を襲い、馬上から三太刀斬りつけたが、信玄は軍配をもってこれを凌いだと伝えられる。

 「武勲桃太郎」は説明の必要もなかろう。桃太郎が犬、猿、雉を連れて鬼ヶ島に鬼退治に行った時の活躍を描いている。

 このあたりで本格的に雨が降り出す。予想していたことではあるが、雷を伴った夕立でないのが幸いだ。来た道を戻り、中洲川端駅から地下鉄に乗り、今度は天神駅で降りる。ここにも飾り山笠が集まっているが、全て屋内展示なので空模様を気にする必要がない。

 長くなったのでこのあたりで一旦筆を置き、天神地区の山笠は明日紹介することにしよう。今日はたくさんの飾り山笠を見て、福岡の人々がこの祭りにかける意気込みの一端に触れた思いがする。「山笠のぼせ」の気持ちも少しは分かった気がするなぁ。


posted by OhBoy at 23:40| 日記