2011年04月24日

読書半分、散歩半分

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 朝起きたら晴れていた。しかし空気は冷たく、相変わらず風が強い。昨日と同じような大気の状態らしい。朝ご飯を食べているうちにどんよりとした曇り空になった。福岡市内の天気予報をネットで見ると、昨日の予報より改善はしているが、昼を中心に雨になると言っている。そのうち空が暗くなるが、雨は降らずに今度は薄日が差す。まことに変わりやすい天気のようで、これだと昨日のように、一転にわかに掻き曇りザッと一雨来てもおかしくはない。

 またもや遠出は諦めて、空模様と相談しながら近場を散歩するしかなかろう。天気予報が警告している昼の雨をやり過ごした辺りで出掛けるかと、午前中は家で過ごす。

 この前から読み始めた三津田信三の「作者不詳」を広げながらソファに寝転ぶ。この本は、作者と同名の三津田信三を主人公にしたシリーズものの一つで、謎解きホラー小説とでも呼べばいいのだろうか。

 主人公が趣味としている散歩の途中で「杏羅町」という古風なたたずまいの町を見つけ、そこにある古本屋で「迷宮草子」という同人誌を手にするところから話はスタートする。迷宮草子には、不思議なペンネームの投稿者たちの短編小説が載っているが、いずれも中途半端に解かれた怪奇推理小説のような内容だ。そして恐るべきことに、各短編の真相を読者自ら発見できなければ、小説中に出て来る怪異現象が自分の身の回りで実際に起きるという異常事態が発生する。

 例えば、第一話の「霧の館」では、小説中に出て来る濃密な霧が、主人公たちの周りに立ち込める。それは、主人公たちにしか見えない霧なのだ。やがて、謎を解き終えると、霧はすぅーと消えていく。各編とも同じように、読後に怪異が現れる。どんな怪異が現れるのかは、実際に起きてからしか分からない。

 その不思議な現象に見舞われた主人公たちは、本を購入した古本屋に行き、店の主人を問い詰め、かつて「迷宮草子」を購入した人たちが次々に行方不明になっていることを知る。そして、その古本屋の主人もまた、主人公たちが目を放した隙に、店内で忽然と姿を消してしまう。最後の短編まで全て謎を解かないことには、自分たちも同じ運命をたどると察した主人公たちは、一編、また一編と読み進め、奇妙な話の背後にある謎を解いていく。

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 この本は、迷宮草子の一編一編に対して推理が行われ、真相にたどり着くと怪異が消えるという構成になっているため、細切れにして読みやすい。それで、暇な折々に少しずつ読んでいたのだが、今日は幸い時間があるので、残りを最後まで一気に読むことにした。

 全編を通して非常に凝った構成になっており、最後の最後まで迷宮草子という本そのものの謎が解けない。予想を覆して話は二転三転し、よく練って書いてあるなぁと感心した。

 私は、ホラー小説を読んで怖いと思うことはほとんどない。怪奇現象とか幽霊とか化け物とか、全て人の創造力が作り出した空想に過ぎないから、化け物が出て来て人が次々に殺されても、しょせんは作り話だと割り切ってしまう。現実には起こり得ない話なのだから、恐怖心は湧かないというわけだ。

 むしろ怖いのは、現実に存在する悪意を持った人間の方で、高齢者を餌食にする詐欺師や、自分勝手な無差別殺人の方がよほど恐怖だ。親切そうな振りをして近づいて来る悪人や、邪悪な心を持った冷血漢の方が、怪異現象よりもよっぽど怖い。それに比べれば幽霊なんて、笑い飛ばせる存在だろう。

 ならば何故、ホラー小説なんか読むのかということになるが、それは謎解きが面白いからだ。逆に言えば、謎解きのない怖がらせるためだけのホラー小説なんぞは読まない。

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 私が好きな京極夏彦の百鬼夜行シリーズで、主人公の「京極堂」こと中禅寺秋彦が事件解決の際に「この世には不思議なことなど何もないのです」という有名なセリフを吐く。まぁこれと同じで、この世で不思議だとされている怪現象の裏には何らかの原因があり、科学的に説明が付くというのが私の考えである。

 よく巷に幽霊屋敷なるものがあり、そこで寝泊りした人には夜中に怪異が起こるなんて話がまことしやかに語られるが、これとても科学的に分析すれば原因は必ずあるはずだ。以前、何かのテレビ番組を見ていたら、この種のお化け屋敷を海外に訪ねて科学分析していた。そして、夜中に幽霊が出るという部屋で計測器を使うと、強力な磁場の乱れがあることが確認されていた。人間も動物だから、地中の磁場の狂いを身体で感じ、それが寝ているときに夢に反映されて幻想を見ているのではないかという解説があった。

 また、霊感が鋭い人は霊を見ることが出来るなんて話もあるが、最新の脳科学では、人間の脳の特定部位に電気刺激を与えると、誰でも、あるはずのない物が見えたり、他の人には聞こえない音が聞こえたりするものらしい。要するに霊感の鋭い人というのは、生まれながらにしてこの脳の特定部位に刺激が伝わりやすい構造になっているのだろう。かくして、霊感の鋭い人が幽霊屋敷に行くと、磁場の狂いが脳の特定部位に刺激を与えて、霊が見えるということになる。逆に、幽霊屋敷に行っても何も感じない人もいるが、これは磁場の感知能力が他の人よりも鈍いということなんじゃなかろうか。

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 さて、三津田信三の「作者不詳」を読み終わったところで、遅まきながら散歩に出掛けることにした。

 どうやら雨は降らなかったようで、昼頃に一瞬降るかなと思うような空模様にはなったものの、やがて空が明るくなり日が差し始めた。こんなことなら早くから出掛ければ良かったのだが、昨日の突然の雨があるから踏み切れなかったのだ。こりゃ完全に天気予報に振り回されたな。

 昨日西新方面に散歩に行った際、街路樹の新緑がきれいだったので、新緑を見に行こうと考え、西公園に足を運ぶことにした。この前桜が咲いたときに行って大賑わいだったが、また元の静かな公園に戻っているだろう。

 歩いて西公園の入り口に行く途中で、学校の校庭に藤の花が咲いているのが見えた。そういえば、八女市黒木町に大きな藤があるという話を聞いたことがある。樹齢600年で天然記念物に指定されているらしい。ちょうど今が見頃ではなかろうか。

 八女というのはお茶の産地として知られているが、女優の黒木瞳さんの出身地でもある。芸名は町の名前から取っているが、彼女の方は「くろき」と発音するのに対して、町名の方は「くろぎ」とにごる。

 さて、西公園の入り口までたどり着くと、参道はすっかり桜の花も散り、新緑が美しくなっていた。ただ、散歩に来ている人やジョギングをする人など、それなりに来園者はある。気候も良くなり、散策にはいい頃合いだからだろうか。

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 桜の季節が終わったというのに、車がひっきりなしに上がってくる。参道を上がってすぐのところにある「光雲神社(てるもじんじゃ)」境内の駐車場にもけっこう車が停まっているし、更に山頂の展望台を目指して坂道を上って行く車もある。そのうえどういうわけだかタクシーが多い。お客を乗せているわけではないし、ここでタクシーを拾おうという人もいないだろうから、運転手が休憩を兼ねてやって来ているのだろうか。

 自動車を気にしながら歩くのも鬱陶しいので、途中から脇道にそれて自然の中を歩く。これで一気に静かになった。西公園には、自動車が走れる一般道が至るところに通っているが、地図にはない遊歩道がその周辺を縫うように整備されている。散策するなら、こちらの方が気持ち良い。

 自然の中を入り組んで通る山道や遊歩道を歩くのは、山登りの醍醐味の一つだ。西公園のある荒津山は標高にして30mくらいで、登るといってもたいしたことはないが、高低差があると景色も変わって楽しい。山の中をグルグル歩けば、それなりにカロリー消費に役立つだろう。

 「さくら谷」はすっかり桜の花も散って葉が出て来ているが、シートを広げてなごむ人も少しはいる。この前来たときは、この辺り一帯は花見客で大変な騒ぎになっていた。ここが再び満席になるのは、また来春のことか。

 その先にある「もみじ谷」まで遊歩道を歩いて行く。もみじの新緑がきれいだろうと思ってのことである。

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 もみじは、秋の紅葉の美しさで知られているが、新緑もまたいい。葉の明るい黄緑色が、如何にも春らしく優雅だ。もみじ谷は、橋や東屋をしつらえ、巨石も随所に配して凝った造りになっている。北に向かって傾斜している構造がいいのだが、シートを広げる平地が少ないという欠点があるせいか、あまり人を見掛けない。今日も誰もおらず、極めて静かでいい雰囲気だ。

 傾斜の途中で暫し立ち止まり、辺りを眺めて新緑を楽しんだ。こういうひとときを身近に過ごせるのは、お金のかかった娯楽にも増して贅沢な時間の過ごし方だと思う。東京では、こんなロケーションで一人新緑を楽しむなんて芸当は到底出来ない。新緑のベストポジションともなれば、天気のいい日には黒山の人だかりで、人ごみに疲れてしまう。おそらく福岡の人は、この贅沢に気付いていないだろうが・・・。

 もみじ谷をそのまま登り、展望台に行って海でも眺めようかと思ったが、先ほどの道中の車の具合から見て、けっこう人がいるだろうと思って敬遠した。せっかく静かに新緑を楽しみ、いい気分になっているときに、喧騒に巻き込まれるのも嫌だ。

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 海を見るなら、このまま西出口に下りて「福浜緑地」に行こうと思い立った。あそこの砂浜なら、ほとんど人はいないだろうから、のんびり散歩できるに違いないという読みである。

 もみじ谷を北向きに上がると、すぐ先に西口に下りる遊歩道が整備されている。ここを下りて、よかトピア通りに出る。この出口の角に「サイゼリア」がポツンとある。東京ではお馴染みのイタリア系カジュアル・レストランだが、福岡に上陸して来たのは最近のことと聞く。現在でも福岡の人はサイゼリアのことをよく知らない。

 福岡でスパゲティーなどを主力にするファミリーレストランというと「ピエトロ」がまず頭に浮かぶのではないか。元は天神にあったスパゲティー専門店だったようだが、サイゼリアと同様、スパゲティー、ピザ、サラダなどを主力にしている。私は東京にいた頃からピエトロのドレッシングを愛用していたから、最初はレストランだと気付かずにいたが、都内のどこだったかで店舗を見掛けてレストランだと知った次第である。

 新参者のサイゼリアがピエトロとどの程度張り合うのか見ものだが、やはりサイゼリアの驚異的安さに取り込まれる人も多い気がする。一度福岡の人をサイゼリアに連れて行ったら、値段の安さにビックリされたことがあった。ピエトロとは明らかに価格帯が違うのである。

 スパゲティーの話はそれくらいにして、浜辺を目指そう。よかトピア通りを渡り高速道路の高架下をくぐると、目の前は砂浜である。

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 目論見通り誰もいない。風は相変わらず強いが、朝に比べて気温がいくぶん高くなったせいか、冷たさは感じない。波打ち際まで出て海を眺める。風が強いため白波が立ち、やや荒れている。

 古代には、ここから大陸に向けて船が出たのだと思うと、何とも感慨深い。当時は命懸けの航海だから、別れを惜しむ人たちが浜辺から手を振ったのだろう。「草枕 旅行く君を荒津まで 送りぞ来ぬる 飽き足らねこそ」という万葉歌碑が西公園の入り口に建っているが、その荒津がこの辺りである。

 福浜緑地の西隣には伊崎漁港がある。正式名称は「福岡市漁業協同組合伊崎支所」というらしいが、毎週土曜日の午後3時から、一般人向けに魚介類の直販をやっていると聞く。これを「伊崎の夕市」といい、かなりの人で賑わうようだ。

 伊崎というのは、元々の地名ではないらしい。ここの漁師たちは、キスが好きだった黒田藩主のために漁をした、いわゆる御膳部漁師だった。黒田長政は、元の領地だった備前の地名にちなんで城のある辺りを「福岡」と名付けたが、同時にキス漁をする御膳部漁師の居留地を、備前の地名にちなんで伊崎と名付けたと伝えられる。

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 今日は、山で新緑を楽しみ、浜辺で春の海を楽しむという贅沢な散歩だった。おまけにほとんど人のいない行程で、静かに自然を堪能できた。天気予報に振り回されて出足が遅れたが、散歩の内容の豊かさで全ては帳消しである。

 さて、来週はいよいよゴールデンウィークとなる。めったに東京に帰らず週末を福岡で過ごしている私だが、ゴールデンウィークは長い休みを確保できそうなので、東京に一旦帰ることにした。正月以来帰京していないので、東日本大震災以降の東京がどうなっているのかをこの目で確かめて来ようと思っている。

 そんなわけで、このブログも暫しのお休みとなる。気が向いたら東京から更新するかもしれないが、あくまでも福岡の日記なのであまり期待しないで欲しい(笑)。

 皆さんも、良いゴールデンウィークを。

posted by OhBoy at 23:33| 日記