2011年05月14日

天神の心霊スポット

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 ちょっとご無沙汰したが、無事に東京から帰って来た。東日本大震災発生以降帰京したことがなかったので、現在の東京がどんな状態か関心があったのだが、至るところ節電対策が施された都市になっていた。駅や空港などの公共スペースで照明が部分的に落としてあるほか、エスカレーターや動く歩道がところどころ停まっていたり、電車の本数が間引かれていたり・・・。照明が落としてある関係で、何となく公共の空間の隅が暗い。開発途上国の公共スペースと雰囲気が似ているなと思った。

 余震が頻繁に起こると聞いていたが、日頃の行いが良いせいか(笑)、私が滞在していた間はわずかに1回揺れただけで済んだ。でも、九州では地震なんてないから、久し振りに体験した揺れであった。

 ゴールデンウィーク辺りからけっこう気温も湿度も上がったものだから、今年初めて半袖で過ごしたりもした。翌日以降は半袖だとちょっとひんやりするかなという天気だったが、今週などは夜も蒸し暑く感じる日があり、季節は一気に夏になったような気分だ。

 さて、今朝は起きたら気持ちのいい青空が広がっていた。風は昨日に引き続き強めだが、これも徐々に収まるだろう。こうなるとちょいと遠くまで足を運びたくなるが、どっこい本日は天神に用があるので遠出は無理だ。

 午前中に洗濯とアイロンがけをしてから、午後に天神まで往復しておしまいという味気ない日程だ。ルーティーンのような日常の中にもちょっとした楽しみを見出すのが人生を粋に過ごす極意というわけで、またもや変則的な道をたどって天神まで行くことにする。

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 取りあえずスタートは大濠公園とした。毎度お馴染みの散歩の起点だが、さすがに5月になって天気もいいと、家族連れなどが繰り出してなかなかの賑わいだ。気温も上がって水が恋しくなる季節だから、ここの公園は絶好の選択肢ということかもしれない。

 池を回る遊歩道の脇に、一部池の水を引き込んで循環させるための小川がある。流れる水はきれいだし小魚が泳いでいたりしてなかなか粋な演出なのだが、この暑さのせいか、早速小さな子供が入って水遊びをしていた。大人のくるぶしのちょっと上程度しか深さがないので、幼児が入っても危なくはない。4月には考えられなかった光景だが、もう初夏なんだなと実感させられた。

 池を半周して南側にある福岡市美術館脇からNHKの前に出て、けやき通りを東にたどる。この前けやき通りを散歩したのは秋の紅葉シーズンで、街路樹がきれいに色付いていた。今は新緑のシーズンで、これまた若葉が美しい。

 このけやきの街路樹と道路沿いの街並みが、どうも原宿の表参道を思い起こさせる。最近めったに行かない表参道だが、独身時代に代々木上原に住んでいて、友人が東郷神社近くにいたものだから、休みの日にちょくちょく出掛けてメシなど一緒に食っていた。今では表参道ヒルズができて、同潤会アパートがあった頃の面影は失われつつあるが、私にとっては懐かしい街である。

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 さて、このままけやき通りを進んでもいいのだが、ちょっと寄り道して「赤坂緑地(あかさかりょくち)」を見てみる。場所はなかなか分かりにくく、地図がないと迷う。

 以前も赤坂のお屋敷街を探訪しようと、表通りから一歩中に踏み入って四苦八苦したが、とにかくこの辺りは細道に入ると厄介だ。今日はあちこち見て歩くつもりはないので、最短距離を目指して護国神社の東側の小道を入る。侵入地点を間違えるとたちまち迷子になること請け合いの地区だ。

 一歩裏道に入るといきなり急な坂があり、登り切ると、また微妙なアンジュレーションがある。この辺りは江戸時代、上級武士が住んでいたエリアであり、今でも高級住宅地のたたずまいである。どの家も「邸宅」といった風情で、駐車場には高級車が並んでいる。地図を見ながら道を進んでいて、「月形洗蔵居宅跡」の碑に行き会う。散歩というのは、こういう偶然の発見が面白い。

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 「月形洗蔵(つきがたせんぞう)」というのは、このブログで何度か紹介したことがあったと思うが、勤王派のリーダー格の一人として有名な幕末の福岡藩士である。

 福岡藩の勤王派は、家老の「加藤司書(かとうししょ)」を筆頭に、藩士の月形洗蔵のほか「中村円太(なかむらえんた)」「平野国臣(ひらのくにおみ)」らを中心とするメンバーで、幕府を倒し尊皇攘夷を推し進めようとした。

 当時の福岡藩主「黒田長溥(くろだながひろ)」は、討幕派ではなかったが尊王派だったため、藩内の勤王派にはやや寛大なところがあり、メンバーは藩内でかなりの勢力を誇っていた。「禁門の変」で京を追放され長州から大宰府へと逃れた三条実美以下七卿の世話をしたり、西郷隆盛や坂本龍馬、桂小五郎といった倒幕の立役者とも親しく交わったほか、薩長同盟成立にも一定の貢献をしたと伝えられている。

 そんな勤王派の動きに神経を尖らせた幕府から、藩主だった長溥は責められ、ついに黒田藩は勤王派制圧に動く。これにより主要メンバーを含めて百数十名が捕らえられ、加藤司書は切腹、月形らは「桝木屋 (ますごや)」という福岡藩の刑場で処刑された。これを「乙丑の変(いっちゅうのへん)」と呼んでいる。

 幕末の動乱に思いを馳せつつ、かつて武家屋敷が並んでいたであろう道を歩いているうちに、何とか当初の目論見通り赤坂緑地に到着した。これがまたきつい登り道の付いた公園で、えっちらと階段を上がって頂上を目指す。

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 どうしてここに来たかったかというと、昔ここが山だった頃の面影を偲べるんじゃないかと思ったからである。そして、大通りから一歩裏道に踏み入って急な坂に行き会った瞬間から、その勘は外れていなかったと思ったし、小高い山のような公園の形状からして、やっぱりこの辺りは山だったんだと実感した。

 かつて赤坂は「赤坂山」という山だったが、黒田長政がこの地を徳川家康から賜って移って来た際、山をならして今の福岡城を建てたため、なくなってしまったと聞く。削った膨大な土は、昔の入り江だった「草香江(くさがえ)」を埋め立ててお堀にするのにでも使われたのだろう。現在赤坂地区の表通りを歩いていても、山の面影など微塵もないが、脇道に分け入ってこんな場所に来てみると、やはりこの辺りは山だったんだなと分かる。

 赤坂緑地の入り口にある案内板を読むと、昔の武家屋敷跡を保存して公園にしたとある。確かに、公園の一部に立派な石垣が残っている。武家屋敷を造成した時の名残だろうか。

 標高は28mということだから、西公園のある荒津山と同じくらいか。頂上まで登ってみたが、木が生い茂っているために眺望はあまりきかない。緑地保全地区だから、樹木はそのまま生えるに任せているのだろう。お蔭でうっそうと茂った樹木で、公園全体に暗い箇所が多い。天気の悪い日だとここも印象が違って見えるのかもしれない。

 さて、探検を終えたあと赤坂緑地を下りて、今度は隣の方にある「筑紫女学園(ちくしじょがくいん)」に寄ってみる。ここは私立の中高一貫校なのだが、学校を見たいわけではない。ここに不思議なお地蔵さんがあるのだ。

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 塀の中に埋め込まれているこのお地蔵さんがそれだが、これはどういう謂れのお地蔵さんかと言われても、実は分からない。ここに学校が建つ前から存在しているそうで、江戸時代に祀られたものではないかという説もある。

 以前、中洲に行った際に、水車橋の近くにある「飢人地蔵(うえにんじぞう)」を紹介したことがあった。享保の大飢饉時の犠牲者を弔う地蔵で、当時西日本一帯でイナゴが大発生して穀物を食い尽くし、加えて干害、疫病なども相次いで発生したため、福岡の人口の1/3が飢え死にしたと伝えられている。この犠牲者を弔う地蔵は福岡市内のあちこちにあり、南公園にも飢人地蔵が残っている。

 この筑紫女学園のお地蔵さんも、もしかしたら近隣の路上で死んだ餓死者を弔うためのものではなかったかという話である。筑紫女学園が仏教系の学校なので、さすがに取り壊したり移転したり出来なかったんだろうなぁ。で、こんな不思議な形で残っているわけだ。

 お地蔵さんを見た後はけやき通りに戻って、天神に向けて東へと歩く。天神が近くなるにつれて、歩道を行く人の数がどんどん増える。警固交差点を過ぎて少し行くと、道路の北側が大名地区で、南側が今泉地区となる。いずれも、若者向けのおしゃれな店舗がひしめくエリアで、東京で言うと、渋谷、原宿から青山辺りといった感じになるのだろうか。

 ほどなく天神に到着する。あちこちで用を済ませた後、このまま帰るのももったいないので、今日は天神の心霊スポットを訪ねてみることにする。といっても2箇所だけなんだが・・・。

 まずは「天神中央公園」である。こんな平和な公園に心霊スポットなんかあるのかと言われそうだが、いわくつきの場所がある。それがここだ。

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 不思議なモニュメントの後ろに小さな墓石が無造作に転がっていて何とも不気味だが、これは「福岡藩刑場跡」の碑である。ここに刑場が設けられたのは、川が横にあって血を洗い流すのに便利な場所だったからと言われている。現在はすぐ脇を薬院新川が流れ、そのちょっと先で那珂川に合流している。

 ここではたくさんの罪人が処刑されたのだろうが、怪異譚の主人公は江戸時代に黒田藩に関係した一人の僧侶である。名を「空誉(くうよ)」という。

 空誉は元々播州の人で「黒田官兵衛」の渾名で知られる戦国最強の軍師「黒田如水」の信任厚く、如水に付き従い、最終的に息子の「黒田長政」が福岡の地を与えられると、如水と共にここに移って来た。そして寺を与えられ寺領二百石の身分となる。

 そんな空誉が処刑されたのは黒田藩二代目藩主「黒田忠之」の治世だが、罪名は諸説あって判然としない。逆に罪が判然としない辺りが、汚名による処刑だったのではないかという疑念を湧かせる。いずれにせよ空誉は、この処刑場で釜に入れられ、斬られた背中に溶けた鉛を流し込まれて惨殺された。そしてその遺体は、葬られることなく捨てられた。偉大な黒田如水の信任厚かった高僧に対して、あまりにむごい仕打ちである。

 明治時代になってこの地には県庁や議事堂など県の施設が建てられたが、その一角にあった知事公舎で、昭和の初めに僧侶の幽霊が出るとの噂が広がった。当時の知事だった「大塚惟精(おおつかいせい)」も夢枕で僧侶に立たれた一人で、調べたところ、空誉の霊ではないかということになった。騒ぎを収めるため、空誉が処刑されたとおぼしき場所に小さな祠を建てて供養したという。それがこの福岡藩刑場跡碑というわけだ。

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 今では傍らを薬院新川が流れ、緑に囲まれた平和な場所なのだが、江戸時代にそんな凄惨な話があったとは驚かされる。ちなみに県庁と議会は昭和50年代に東区の東公園隣に移転し、知事公舎は中央区の平尾の近くに移り、ここは公園として整備された。その公園の写真が、冒頭に掲げたものである。正面の人工の山のように見える建物は「アクロス福岡」というシンフォニーホールや国際会議場が入る複合施設である。

 公園内は今日もたくさんの人が散歩したり日向ぼっこしたりしているが、天神地区と中州地区を結ぶこの公園でそんな怪談話があったなんて、行き来する人のほとんどは知らないんだろうなぁ。一番驚いたのは、ホームレスがこの福岡藩刑場跡碑のすぐ横にビニールシートで仮住まいを作っているということだ。夜寝ていて何か異変が起きないか、思わず訊きそうになったよ(笑)。

 さて、もう一つの心霊スポットに行こう。場所は、ここから北西方向に500mばかり行ったところにある「安国寺(あんこくじ)」である。

 安国寺は全国にたくさんあるが、福岡のものは元は豊前、今の小倉にあったと伝えられている。それを初代藩主黒田長政が、 住持だった「天翁全補(てんおうぜんぽ)」のために移したのが、この福岡の安国寺である。 一度焼失しているが、二代目藩主忠之が再興した。

 ここには「飴買い幽霊」の伝説と、その母子の墓がある。

 江戸時代にこの寺の近くにあった飴屋で、丑三つ時に表戸を叩く音がする。主人が出てみると、若い女が飴をくれという。そして、それが毎晩続く。不審に思った主人はある夜、女の後をつけてみたところ、女は安国寺に入って行った。主人が寺の中で女を捜すと、新しい卒塔婆が立っている辺りで地中から赤ん坊の泣き声がする。驚いて寺の住持と墓を掘り返してみると、女性の遺骸の傍らに赤ん坊がいて泣いている。おそらく母親が葬られた後に生まれたのであろう。

 さては腹をすかす我が子を不憫に思った母親が幽霊となって、子に与える飴を買いに来ていたのかと悟ったが、墓から救い出された赤ん坊もまもなく亡くなったと伝えられる。

 この親子のことは安国寺の記録にも残っており、「岩松院殿禅室妙悦大姉」と彫られた母親の墓が建っていて、その横にしがみつくように立っている「童女」の墓が、赤ん坊のものらしい。

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 こうして見ると何とも哀れを誘う墓石だと思う。寺の記録だと母子がここに葬られたのは延宝7年、西暦で言えば1679年のことである。

 ところで、この飴買い幽霊の話、多くの人が一度は聞いたことがあると思う。実は、細部に微妙な差はあるが、この種の話は全国にたくさんあるようだ。中には落語になっているものもある。「幽霊飴」がそれである。

 昔は土葬だったので、死んだ妊婦を埋葬した後で、死後出産の形で赤ん坊が棺桶の中で生まれたという事例があったようだ。ただ、母親が既に死んでいるため赤ん坊も死産だと考えるのが普通だろう。しかし、全国に伝わる話の中には、赤ん坊はやがて成長して高僧になったというものがいくつもあるようだ。

 あと、福岡には当の飴屋はもうないが、京都には幽霊が買い求めたという飴が今でも売られている。私は大学時代京都にいた時にこの話を聞いたのだが、「幽霊子育飴」というのがそれだ。一軒だけなく京都市内にいくつか店舗がある。ちなみに、落語の「幽霊飴」の舞台は東山にある高台寺であり、これは落語らしく「こうだいじ(子(が)大事)」としゃれるためである。この近くにも当然、幽霊飴を売る店がある(笑)。

 さて、そろそろ帰路につくことにする。安国寺から北に進路を取り、中央卸売市場の前を通って長浜ラーメン街に抜ける道を歩くことにする。この道の名前が何なのか知らないのだが、歩道が広く人通りも少ないので、けっこう使っている道である。長浜まで行くと、市場脇から博多漁港に出て海岸沿いを歩く。「かもめ広場」に抜ける道だ。ここも静かでお気に入りの散歩道である。

 今日はたいした距離は稼げなかったが、明日も天気が良かったら、長めの散歩に出掛けるかな。さて、どこに行こう。それを考えるのも休日の楽しみだ。

posted by OhBoy at 23:10| 日記