2011年06月12日

フランキー・マシーンの冬

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 今日は朝から雨。しかも、本格的な雨だ。昨日の天気予報では、昼頃を中心に本降りになるということだったが、午前中から既に本降り状態だ(笑)。部屋の中にいても雨の音がハッキリ聞こえる程度のドシャ降りの時間帯もあり、パソコンを立ち上げて天気情報を見ると、福岡地方に大雨・雷注意報が出ている。雷の音は聞こえないが、まぁ散歩に出ている場合でないことは確かだ。

 出掛けるをあきらめたところで、午前中は掃除に時間を費やす。掃除機をかけるのは1ヶ月ぶりだろうか。一人暮らしで、客も来ない生活をしていると、これくらいのペースでも支障はない。平日は昼間締めっ放しで誰もいないから、部屋の隅にほこりがたまる程度だ。

 子供の頃「掃除は天気のいい日にするものだ」という「常識」を聞かされた覚えがあるが、大人になってそれにどんな根拠があるのか疑うようになった。おそらく、掃除の時には家の窓を開け放つから、雨の日にやると雨水が入って来て大変だという、昔の家の構造に由来するものではないかと思う。あとは、湿気を室内に入れないための配慮だろうか。

 しかし今の家の構造だと、ベランダなどが広めに取ってあるため、窓を開けたからといって、必ずしも雨水が吹き込んで来るわけではないし、湿気は窓を閉め切っていても玄関の開け閉めや換気の折などに入って来てしまう。逆に、完全密封状態だと家の中の空気が淀んで健康に良くないから、湿気付きであっても多少空気の入れ替えは必要なのじゃなかろうか。そうして考えると、雨の日の掃除は決してタブーではないと思ってしまう。

 掃除にまつわる「常識」として、もう一つかねてから疑問に思っているのが、年末の大掃除である。年も押し迫った厳冬の中で、家の内外を大々的に掃除する意味は、単に新年を清らかに迎えたいという精神的なものでしかない。家の外も含めて徹底的に掃除するのだとしたら、好適期は真冬ではなく、過ごしやすく空気もそこそこ乾燥している秋か春だろう。

 にもかかわらず、子供の頃に教わった「年末には大掃除」という呪縛に囚われて、みんな寒風吹きすさぶ中で震えながら掃除をする。人は結局、経済合理性だけでは生きていけない存在なのだろう。

 掃除ネタついでにもう一つ。それは掃除機にまつわるものだ。

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 私は前任者から譲ってもらった掃除機を使っているのだが、これは今ある掃除機と同じ構造だ。もちろん、機能面でもっと進化した掃除機はいくらでもあろうが、モーターの付いた本体があって、そこからホースが延びて、先端に機能てんこ盛りの吸引器具が装備されている点では同じである。一部に、本体と吸引部分が一体化したデザインの掃除機も売り出されているが、主流は、この「本体+ホース+吸引器具」のはずだ。

 このスタイルの掃除機は、一箇所を掃除するのにはそう困らないが、あちこち引き回すのはたいそう面倒だ。本体部分が、ホースの動きに合わせて一緒に付いて来てくれない。まるで、言うことを聞かない散歩中の犬のように、足を踏ん張ってご主人様の後を追うことに抵抗を示す。もっと滑らか、かつ軽やかに動いてくれないものか。

 更に言えば、身長の高い私から見ると、吸引器具の持ち手が低めに付いている。従って、ちょっと前かがみになって掃除機を操ることになる。この姿勢を続けるとじわりと腰が痛くなる。おまけに、きちんと後を付いて来てくれない本体部分に業を煮やして、左手で本体部分をぶら下げて、右手で低い位置の取っ手を持って掃除機を操って部屋のあちこちを移動していると、余計に腰にこたえる。私の持病となりつつある腰痛の原因の一端は、この掃除にあるのじゃないかとすら、最近思うのだ。

 掃除機の進化というのは、もっぱら吸引力や清掃力の向上に費やされて来た。まぁ掃除をする器具だから、そこは問題ない。しかし、これを人間が扱い、板の間だけでなく絨毯敷きの部屋や、曲がった廊下などを縦横無尽に突き進まなければならないことが、あまり考慮されていない気がする。

 日本の電化製品は機能面では世界に観たるものがあるが、人間工学的に考えて、人が扱いやすく、苦労せずして使えるという面には、あまり重きが置かれていないように思う。言い換えれば、使って楽しい洗濯機や、思わず掃除したくなる掃除機なんてコンセプトは、いまだかつて開発ポリシーの中に入れられて来なかったのではないか。

 「ルンバ」というロボット掃除機がある。聞かれた方も多いだろう。部屋の形状を記憶して、勝手に掃除をしてくれる小型掃除機だ。忙しい人や掃除が面倒な人向けに売り出されているのかもしれないが、そうでなくとも何やら面白い存在だ。人間様が操らずとも、自分の意思で勝手に掃除をしてくれるロボットが家の中にいるというのは、何とも不思議で夢がある。機能面以外のプラスαが加わった製品のような気がする。

 米国のアップル社が、「iPod」や「iPhone」「iPad」などで次々にヒットを飛ばして世界を席巻中だが、技術的には日本のお家芸的世界で、作ろうと思えば作れないことはない製品と聞く。だが、作らなかった。技術はあって機能向上には熱心だったが、そんな面白い企画を思いつかなかったのだ。今の日本経済の低迷は、そういう夢のある企画力の欠如に起因するところが大きいと思う。生活を楽しむ、人生を楽しむ、そのための何かを考えて売るという面が、何とも弱いのだ。

 今のアップル社の快進撃は、1997年にスティーブ・ジョブズが帰って来てから始まった。彼が当時、低迷を続けるアップル社の製品群を見て言ったセリフは有名だ。「セクシーじゃない」 その一言で既存製品は一掃され、アップル社の新たな進軍が始まる。結果は見ての通りだ。

 日本の電化製品も全く同じ。そうセクシーじゃない。ことに掃除機においてはだ。

 まぁ私のような生活能力のない者が、掃除機談義をするのは噴飯ものだろうから、この辺りで止めておくが、ホント真面目に考えた方がいいと思うよ、メーカーさん。人生を楽しまない者に、人を楽します製品は作れない。真面目な堅物が考えつくものなんて、ヒットはしてもホームランは出ない。

 さて、掃除も終わったところで、雨の日恒例の読書の時間といこう。昨日は青空文庫で名作鑑賞だったが、今日は本来のミステリー分野にどっぷりと浸ることにする。手に取ったのは、ドン・ウィンズロウの「フランキー・マシーンの冬」である。

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 ドン・ウィンズロウは、入院中に書いた小説で注目を集め、今や確固たる地位を有するミステリー作家だが、元は政府系の調査官や探偵をやっていたと聞く。日本では「ストリート・キッズ」で注目を集め、「犬の力」で本格的にブレークしたといったところだろうか。「フランキー・マシーンの冬」は、その後日本に紹介された小説で、文庫本で上下二巻、600ページ超の長編だ。

 本当は、「ストリート・キッズ」、「犬の力」と読んでから、この本に取り掛かった方がいいのだろうが、背表紙にあった解説に惹かれて、まずはこの本から読むことにした。

 主人公は「フランキー・マシーン」の渾名を持つマフィアの凄腕殺し屋。しかし、既に60歳を過ぎて現役を引退しており、故郷のサンディエゴで釣り餌店やらリネン・レンタル業、不動産仲介など複数のまっとうなビジネスをこなしながら、質素に暮らしている。彼なりの流儀で筋を立ててかたぎの生活を貫き、みんなから好かれて、つつましいが幸せな日々を送る。そんな彼の日常が冒頭数十ページに渡って丁寧に描写されているが、それが実にいい。

 凄腕の殺し屋なんて、たいていマフィアの抗争の中で命を落として天寿を全うしないものだという先入観があったから、生きて老後を過ごすという設定が何とも新鮮だった。最初にこの小説に惹かれた理由がそれだ。

 更に、そんな男が巨万の富を築いて優雅に暮らしているのではなく、釣り餌店をやりながらサーフィンもし、離婚した妻との間に出来た大学生の娘とたまに会うのを楽しみにしているという生活臭のあるディテールも気が利いている。そして、60歳代にして女性関係もしっかり築いていて、別れた後でも元の妻の家に出入りしつつ、同時に恋人もいてデートを楽しむ。そうした暮らし向きが、簡潔な文章で味わい深く綴られている。

 そして、ある夜に昔のボスの息子が彼の家を訪ねてくるところから、話は一気に暗転し、彼は再び戦場に駆り立てられる。不意打ちを食らったフランキー・マシーンが、かつての凄腕を存分に見せつけながら一気に現役時代さながらに反撃を開始していく展開が巧みな筆致で語られる。

 彼がいったい誰から狙われているのか、そしてその理由は何かを自問自答する中で、彼の生い立ちが語られ、現役時代の日々が明らかになっていく。全てが血なまぐさい闘争場面ではなく、古き良き時代のギャングたちの日常生活が綴られていて、ある意味、郷愁を誘うような部分もある。現実のマフィアの生態がどんなものか私は知らないが、かつてのマフィアとはこんなものだったかもしれないなと思わせるものがある。

 現役を引退した後の生活というものを、私自身あまり考えたこともないが、自分流のスタイルに徹した幸せな生き方というのが、老後にもあるんだなと実感させられる小説だった。フランキー・マシーンのマフィア時代の友人、相棒が次々に命を落としていく中で、彼が生きながらえて平和な余生を送れたのも、おそらく分をわきまえ自らを自制していく、彼なりの人生の流儀があったからだろうと気付かされる。何より、無分別に金儲けに走らず、野心と欲望を抑えたストイックな人間像がいい。

 一流のプロフェッショナルの生き様を描いた小説を、久し振りに読んだ気がする。こうした小説で以前に読んで印象に残ったものに、スティーヴン・ハンターの「極大射程」がある。あとは随分昔に読んだものだが、ロバート・ラドラムの「暗殺者」もいい。どの主人公も、しぶといまでの強さと、人間的な血の通う温かさを持っている。

 さて、こうして読書に明け暮れるのもいいが、来週辺りはそろそろ散歩に出掛けたいものだ。梅雨のさなかだから天気は思うに任せぬところがあるが、とにかく幸運を祈ろう。

posted by OhBoy at 23:05| 日記