2011年06月19日

雨読の日

11061901.jpg

 今日は曇り空の朝で、幸い雨は降っていない。ただ、どんよりと垂れ込めた雲を見ていると、いつ雨が振り出してもおかしくない空模様である。

 パソコンを立ち上げてインターネットでニュースを拾い読みしながら天気予報も見る。九州の中央部に東西に梅雨前線がかかっていて、福岡市はかろうじて厚い雨雲から外れているが、県の南部は雨が降っているようだ。更に南になると、熊本以南は激しい雨に見舞われているらしく、大雨警報やら洪水警報が出ている地域がたくさんある。

 福岡市内もこのまま一日安泰というわけではなく、昼にかけて雨が降るらしい。そして夜中に大雨になると出ている。昨日も午後一番を中心に雨脚が強まったので、同じような天気なのだろう。昨日天神まで歩いてけっこう濡れたことを考えると、散歩に出掛けるのにも慎重にならざるを得ない。まぁ今後の空模様を見ながらどうするか考えることにしよう。

 午前中は細々とした雑務で時間が過ぎた。一つ一つはたいしたことでなくとも、まとめてやると時間が掛かる。日頃いちいちやるのが面倒なので後でまとめてやろうと溜め込んでいる日常の雑務というのがある。出掛けるかどうか迷うような休日の空き時間は、そうした滞貨一掃にはもってこいの時間だ。

 そうこうしているうちに雨が降り出す。悪い方向に向かっては、天気予報は良く当たる(笑)。昼前にはしっかりした雨になって、外出する気力は急速に萎えた。

11061902.jpg

 昼食を終えると読書でもするかということになったが、じっくりと長編を読む意欲は湧かず、お茶を飲みながらエッセイか短編集でも拾い読みしたい気分だ。しかし、手持ちの在庫にその類の本はなかったので、再び「青空文庫」に接続する。以前にも紹介したが、青空文庫はインターネットに開設されたネット図書館である。

 まずはエッセイでもと、芥川龍之介の「或阿呆の一生」と「侏儒の言葉」を読む。この2冊は、高校時代に二読三読した覚えがある。芥川のような天才肌の作家が最後に行き着いた終着地点という意味で、彼の人生に対する直接の言葉が書かれているこの2冊に興味を覚えたのだ。

 天才と狂気は紙一重と言われるが、芥川龍之介は確かにそのはざまにいた人だと思う。母親は彼の生後7ヶ月にして精神を病み、龍之介は母方の実家に引き取られ育てられる。小さな頃から頭が良く、一高には成績優秀ゆえ無試験で入学が許可された。東京帝大では、難関中の難関と言われる英文科に進む。夏目漱石の門下に入り、古典を題材にした多くの短編小説を世に出して名を馳せた。しかし、神経衰弱と不眠に悩まされ、致死量の睡眠薬を飲んで自殺した。35歳の夏だった。

 「或阿呆の一生」は自殺の年に書かれた彼の人生の軌跡であり「侏儒の言葉」は自殺の4年前から自殺の年まで書き続けられたエッセイである。

 本というのは、人生を重ね経験を積むに従って、以前読んだ時とまた違った見え方をすることがある。彼の言葉をつむいだ「侏儒の言葉」は、今さら読み直すと、はっとするほど的確に人生の真実を見抜いている。例えば「地獄」という項目がある。少し長いが全文を引用しよう。


「人生は地獄よりも地獄的である。地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。たとえば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。目前の飯を食おうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外楽楽と食い得ることもあるのである。のみならず楽楽と食い得た後さえ、腸加太児(ちょうカタル)の起ることもあると同時に、又存外楽楽と消化し得ることもあるのである。こう云う無法則の世界に順応するのは何びとにも容易に出来るものではない。もし地獄に堕(お)ちたとすれば、わたしは必ず咄嗟(とっさ)の間に餓鬼道の飯も掠(かす)め得るであろう。況(いわん)や針の山や血の池などは二三年其処に住み慣れさえすれば格別跋渉(ばっしょう)の苦しみを感じないようになってしまう筈(はず)である。」


 社会人となって様々な仕事や人間関係に関わってきた人なら、この文章に何度もうなづくはずだ。確かに、人生には確たる予見というものがない。良いことばかりではないが、悪いことばかりでもない。しかし、そうした様々なことはランダムに現れ、悪い事がずっと続くこともあれば、これでもかという幸運に恵まれ続けることもある。しかも、条件が同じであっても前回と全く違った結果になることもあり、全く予測がつかない。言い換えれば、人生は安定しないデコボコ道のようなもので、だからこそ人々は安定を求める。人生に対しても、世の中に対してもだ。

11061903.jpg

 さて、芥川龍之介のあとは、これまた高校時代に好きだった中島敦を読む。文庫本だけでは収録されている作品が少ないので、図書館で全集を借りて読んだ覚えがある。

 中島敦との最初の出会いは国語の教科書だった。「山月記」がまるごと収録されていて、その難解な文体に級友たちは辟易していたが、私は逆に漢詩が好きだったので、中島敦の漢文体にはけっこう惹かれた。ちなみに中島敦の祖父は漢学塾を経営し、父親は漢文の教師だった。

 教科書に載っていた「山月記」のほか「李陵」が有名で、私はこの短編で、有名な「史記」の著者である「司馬遷」の悲劇の経緯を知った。だが、最も好きな一編はと言われれば「名人伝」を挙げたい。

 弓の名手を題材にした「名人伝」は何とも不思議な話だ。中国の故事を多く載せた「列子」から題材を取ったと伝えられるが、列子にはこのほか、「杞憂」や「朝三暮四」の元になった話が収録されており、これ自体読めば面白いのかもしれない。

 趙の邯鄲に住む「紀昌(きしょう)」という若者が主人公で、天下第一の弓の名人になろうと志を立て、様々な修行を自らに課していく過程を描いている。その奇妙な修行の数々も面白いのだが、話のクライマックスは、当代きっての弓矢の名手にして師でもある「飛衛(ひえい)」と互角の実力になった後の話である。

 飛衛は紀昌に、自分たちの技など児戯に等しいと言わざるを得ない究極の弓の名手の存在を語る。「甘蠅(かんよう)」と呼ばれる老人がその人で、霍山の山頂に隠棲していると聞く。

 どうしても弓を極めたい紀昌は、苦労して霍山に登り、甘蠅と対面する。相手は柔和な目をしたよぼよぼの老人で、腰は曲がり髭を引きずりながら歩いている。紀昌は老人の前で矢をつがえて空に放ち、一矢で五羽の鳥をうち落とす。老人は穏やかに笑いながら、それは「射之射」であり「不射之射」の域に達していないと言う。老人は紀昌を断崖絶壁の上にせり出す石のところに連れて行き、そこに登ってもう一度同じように矢を放てと命じた。しかし紀昌が石の上に立つと足元はグラリと揺れ、恐怖のあまり震えて石の上に伏してしまう。

 老人は笑って紀昌をどかすと、同じ石の上に乗って、何も持たずに矢をつがえるまねをして空に向かって弓を引く。たちまち鳥が落ちて来た。紀昌はそこで芸道の深淵を覗き見、「不射之射」を知る。

 究極の弓の名人を語るこの話は、意外な結末で締めくくられる。9年にわたる山頂での修行の後に邯鄲に戻って来た紀昌は、何故か愚鈍な顔つきになり、一切弓矢を取らない人になっていた。名人の技を見たいという周囲の期待をよそに、紀昌は一度も弓を引かず年老いていき、晩年には、弓そのものの用途も忘れてこの世を去る。

 ある物事の道を究めるというのはどういうことなのかを、この小説は問い掛けている。我々は時として、何かの分野で腕を上げ、そのエリアでは一流になったかのように錯覚することがある。また、世の中を見渡せば達人を自称する人がたくさんいる。だが、それがどれだけ道を極めていることになるのか、実際のところは分からない。自ら得意になったり、名人の域に達したと自負する人を見たりしたとき、私はふと甘蠅老師の穏やかな笑顔を思い出すのである。

11061904.jpg

 夕方遅くになってふと窓の外を見ると、雨は止んでいた。天気予報を見るとつかの間の休息らしく、深夜になって再び本降りの雨になるようだ。古典を読んで人生について考えるにはお似合いの天気だったかも知れぬ。芥川龍之介が自殺した日も雨だったと聞く。


「わたしはどんなに愛していた女とでも一時間以上話しているのは退窟だった。」(芥川龍之介「侏儒の言葉」)


 天才に生まれつくというのは、必ずしも幸福なことではないのだろう。切れ過ぎる頭脳と見え過ぎる目を持った彼には、人生と世の中は居心地の良い場所ではなかったはずだ。


「あらゆる神の属性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出来ないことである。」(芥川龍之介「侏儒の言葉」)

posted by OhBoy at 23:14| 日記