2011年06月25日

筥崎宮再訪

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 今日は暑さで目が覚めた。外では真夏の日差しが照りつけていて、早朝なのに温度は確実に30℃近くあるという感じだ。脱水症状みたいな状態で起き上がり、全ての窓を開けるが、心地良い風などこれっぽっちも入って来ない。

 今週はずっと蒸し暑かった。夏の蒸し暑さというのはこんなものだったかと思い知らせてくれるような、辟易とする暑さだった。梅雨だから仕方ないが、これをクーラーなしでしのぐのは容易なことではない。節電の趣旨は分かっているが、精神論や気合だけでどうにかなるものではないと確信する。この暑さが続けば、節電対策など吹き飛ぶんじゃないかとすら思う。

 さすがにたまりかねて週の半ばに扇風機を出した。クーラーは最後の砦としてつけずにおこう。少しは節電に協力しようという精神論である。これでもまだ夏の入り口なのだから、本番の7、8月になればどうなることだろう。汗かきの私としては戦々恐々といったところだが、いっそ思いっ切り汗をかけば、新陳代謝にもメタボ予防にもいいかもしれない(笑)。

 本日の天気予報を見ると、意外なことに午後の降水確率が40%、そして明日も一日雨と出ている。台風が近づいているらしい。今日のところは梅雨前線の活発化による雨というより、夕立なんじゃないかと思う。今週何度か夕立があって突然激しい雨に見舞われた。これだけ蒸し暑ければ、さもありなんという気がする。

 毎度のことながら、午前中は洗濯とクリーニングに徹する。午後の夕立を避けるためには、早い時間帯に干し始めるに限る。この気温なら、午後一番には乾くに違いない。そう考えて朝食を食べる前に洗濯を始め、終わったらすぐに干しにかかる。そしてアイロン掛けだが、さすがにこの気温でアイロンを掛けると汗が出る。半袖ワイシャツだと一枚当たりの手間はさほどではないが、続けてやっているとポタポタと汗が垂れるほどになった。これだけのことで、いい運動になった気がする。

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 このところ週末になると天気が崩れて家にこもり切りの日が続いたので、今日あたりは散歩に出掛けたい。かといって午後には雨が降るといっているから、野ざらしの道を延々と歩くようなコースは避けた方が無難だろう。雨ならまだ傘があればしのげるが、夕立の激しい雨だと傘なんか役に立たない。色々考えて、久し振りに「筥崎宮(はこざきぐう)」でも訪ねようかと思い立つ。

 地下鉄貝塚線の「箱崎宮前駅」は、あの長い参道の中間地点にある。雨が降れば筥崎宮で雨宿りも出来るし、ちょっと行けば地下鉄の駅に入れる。空模様に不安がある中では恰好の散歩場所だろう。

 そう考え付くと、午後の雨をなるべく避けるため、早めに昼ご飯を食べて出掛けることにする。本日はざるソバだ。もうとても熱いものを食べる気にならない。朝食の時もコーヒーはアイスにした。熱いお茶もいらないし、部屋着も半袖短パンだ。この恰好で仕事をすれば涼しかろうが、どう見てもスーパークールビズを超えた恰好だ。でも、ホントに猛暑が来たら、これぐらいのことをしないと、節電は不可能かもしれない。今週の蒸し暑さでつくづくそう思った。

 出掛ける頃には雲が空一面に広がり、たまに日が差す程度まで天気が崩れていた。しかし湿度は高く蒸し暑い。夕立にはおあつらえ向きの空模様だ。まず間違いなくどこかの時点で雷雨になると確信を強くする。問題はいつ頃から雷が鳴り出すかだ。

 地下鉄に乗って箱崎宮前駅に到着。神社の名前は「筥崎宮」で駅の名前は「箱崎宮」と漢字が異なっているため、ガイドブックで神社自体が「箱崎宮」と紹介されているのを見掛けることがあるが、正しくは「筥崎」だ。ただ、ガイドブックにどう書いていようと、ここに足を運ぶ観光客はさほどいまい。

 まずは参道を北に向かい、海岸近くまで行く。

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 福岡近辺の古い神社によく見られるように、筥崎宮の入り口は海から始まっている。あいにく本日は門が閉まっていて浜辺まで行けないが、以前写真に見える鳥居まで行ったことがある。このエリアは筥崎宮が管理しているが、自由に出入りさせていないのは、鳥居の前の砂浜が神聖な場所とされているからだろう。

 ここの砂は「お汐井(おしおい)」といって、身を清めるのに使われる。昔は「てぼ」という名の竹かごにお汐井を入れ、家の玄関に吊るしておいて、お清めの塩のように身体に振りかけていたという。7月に福岡で行われる博多祇園山笠で、山笠を舁く男衆にも、このお汐井を振り掛けるのが慣わしのようだ。

 この浜の東側には「箱崎漁港」がある。周辺は倉庫群なのでこんなところに漁港があるとは一瞬思えないのだが、実際福岡市の沿岸部にはいくつもの漁港がある。福岡市内に出回る豊富な魚介類をこうした漁港が支えてくれているのだろう。それにしても、人口で京都市を抜いた巨大都市に漁師さんがたくさん住んでいるというのは、何とも意外な話ではないか。そんな都市って他にあるのだろうか。

 さて、ここから参道を通って筥崎宮に向かう。参道は浜辺の鳥居から延々1kmあり、車が入って来れないので散歩するにはちょうどいい。途中に立派な灯篭あり、鳥居あり、ついでに道路も何本か横切っており、先ほど来た地下鉄の駅まである。とにかくこの参道の立派さが筥崎宮の威厳を如実に示している気がする。

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 地下鉄の駅を通り過ぎて更に南に向かう。筥崎宮の手前まで来たところで、参道脇にある「恵光院(えこういん)」にちょっと立ち寄ることにする。小さなお寺だが、ここには、千利休が豊臣秀吉や博多の豪商たちを招いて茶会を開いたという「燈籠堂(とうろうどう)」という建物が残っている。お寺自体は福岡藩二代藩主黒田忠之が後に建立したもので、お寺よりも燈籠堂の方が歴史は古い。

 織田信長の死後、全国の平定を目指していた豊臣秀吉は、当時の九州の実力者島津氏を討伐し九州を平定した帰りに、福岡の筥崎宮に滞在している。そのとき博多の豪商「神屋宗湛(かみやそうたん)」と親交を深め、宗湛は焦土と化した博多の町を秀吉に見せ、復興を願い出る。これが元になり博多の商人町の復興が始まった。このときの縦横に街路を張り巡らせた区画整理が「太閤町割り」と呼ばれるものである。

 筥崎宮滞在時に秀吉は、同行していた千利休に何度か茶会を開かせている。以前、九州大学医学部構内にある「利休釜掛の松」をご紹介したことがあったが、あれは「千代の松原」と呼ばれた海岸沿いの松林で行われた「野点(のだて)」の場所である。一方こちらは、筥崎宮で行われた茶会であり、今に残る「燈籠堂」で茶会が開かれたと伝えられる。ちなみにこの燈籠堂は当時筥崎宮内にあったが、明治政府により出された神仏分離令で今の場所に移されたようだ。

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 神屋宗湛が残した日記によれば、ここで茶会が開かれたのは6月14日のことで、青松葉の壁に苫葺き屋根の二畳半ほどの茶室で利休自らがお手前をしたらしい。そして18日には、海岸沿いの松林で、利休が松の枝に雲龍の小釜を吊るし、松葉をかき集めて湯を沸かし野点を行っている。その場所がここから少し南西に行った九州大学医学部構内というわけだ。

 千利休も縁を感じてか、筥崎宮に灯篭を寄進していて、今でも境内に残っている。そんなわけで、筥崎宮は千利休ゆかりの地の一つになっており、毎年5月に裏千家の献茶会が開かれると聞く。

 さて、恵光院を出れば筥崎宮は目の前だ。

 この神社は八幡様を祀っているが、八幡様というのは応神天皇のことである。古い皇室のしきたりで、出産の際に膜や胎盤などの胞衣(えな)を円筒状の箱である「筥」に入れて地中に埋め、目印にその上に木を植えるという儀式があった。応神天皇出産のケースでも同じように筥が埋められ、その上に松を植えた。それを祀っているのがこの神社というわけで、名前に「筥」が使われている。

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 この巨大な建造物は、筥崎宮を紹介するガイドブックでよく目にするが、神社本堂ではなく「楼門」である。そして、手前にある赤い柵の中の松が、応神天皇出産時の胞衣を埋めた上に植えられた松で、「筥松(はこまつ)」という。由来から言えば、この筥松のある場所こそが、神社にとっての聖地ということになる。

 本堂ではなく楼門ばかりがガイドブックに載っているのは、普通の時は楼門の中に入れないからである。本日も、お参りする人は楼門のところで拝んでいる。門内が一般公開されたときでも、内部は撮影禁止なので本堂など内部の写真を見ることはめったにない。

 この前ここに来たのは昨年9月のことで、ちょうど「放生会(ほうじょうや)」という筥崎宮の秋の大祭をやっている最中だった。放生会は、千年以上続く由緒あるお祭りで、武神である八幡大神のお告げにより、合戦で亡くなった人々の霊を弔うために始まったものだ。このお祭りの時には、先ほどの神聖な浜辺も楼門内も一般に公開されており、私も本堂まで入って内部を見学した。けっこう狭いのだが、様々な飾り物があり、一見の価値はある。

 この楼門は国指定の重要文化財になっているが、掲げられている扁額が特に有名だ。「敵國降伏」とあるが、これは元寇の際に亀山上皇が戦勝祈願したことが由来になっている。現在の扁額は、かつてこの辺りを領地としていた小早川隆景の書だが、オリジナルは亀山上皇が寄進したものである。

 亀山上皇寄進の扁額は神宝として別に保管されているが、書自体は亀山上皇のものではなく、醍醐天皇のものと伝えられている。醍醐天皇は平安時代の天皇だが、彼の命で今の筥崎宮が建立されたという関係にある。

 筥崎宮は武神である八幡様を祀っているうえ、その八幡様たる応神天皇の出生に直接関わる神社なだけに、古くから武士や軍人の尊敬を集め続けた。二度にわたって元寇の際に吹いた神風はこの神社の霊験によるものだとされているし、モンゴル軍が上陸して博多の街で地上戦になった「文永の役(ぶんえいのえき)」の際も、この神社から白装束の武人が出て来てモンゴル軍を蹴散らしたという伝説が残されている。

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 この前来たときにはあまり紹介しなかったが、そんな経緯から境内には、武人・軍人にちなんだ遺物が残されている。この石碑は、日露戦争の日本海海戦で名を上げた東郷平八郎の書である。

 どうしてこんなところに東郷元帥の書があるかというと、実は日本海海戦は福岡の沖合いで行われているからである。当時日本の連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を破ったあと福岡港に立ち寄り、東郷元帥は筥崎宮に参って感謝の祈りを捧げている。また、東郷元帥の死後、東京渋谷と並んで、福岡県の津屋崎(現福間市)に東郷神社が建てられている。

 津屋崎には行ったことがないが、東郷公園に日本海海戦記念碑が建っているという。NHKが年末に放映している「坂の上の雲」はいよいよ日本海海戦だと思うが、対馬の辺りで「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の電文が打たれたなんて、何とも感慨深い。

 でも福岡の人って、NHKの「坂の上の雲」放映を機に津屋崎や筥崎宮を売り出してブームを起こそうなんて、これっぽっちも思っていないんだろうなぁ。そういう人たちなんだよな、博多っ子っていうのは・・・。そういう計算高くないところが私は好きなのだが、それゆえ観光資源はあっても観光客を集められない宿命にあるんだと思う。

 前回来たときに紹介しなかったといえば、この境内の大楠の木もそうである。

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 実に堂々とした迫力ある大楠で、見る者を圧倒する巨大さだ。樹齢800年と伝えられ、この神社の歴史の古さを偲ばせるに充分な威圧感がある。

 ただ、この大楠、どういういわれの木かというのが分からない。単に「大楠」という表示と樹齢が記されているだけで、それ以上の解説はない。いわれなどなく、単に長生きした楠ということだろうか。

 800年前というと鎌倉時代で、幕府が北条家に乗っ取られた頃だ。最初の元寇である文永の役が1274年で、その時博多の街は火の海となりこの近辺も焼け落ちたはずだから、この楠は焼け跡に植えられたということだろうか。それとも戦火を免れて生き延びたということか。

 まぁそんなふうに色々想像は出来るものの、実際のところは分からない。でも、この木が植えられた頃のことに思いを馳せるのは、色々夢があって面白かろう。せめて、植えられた当時はこんな時代だったと解説でも付ければいいのになぁと思う。

 元寇の話が出たついでにもう一つ紹介しておくと、この大楠の前に、蒙古軍船に使われていた「碇石(いかりいし)」が展示されている。これは元寇の際に博多湾にやって来た蒙古の軍船に装備されていた碇の一部である。

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 この石をそのまま船から吊るして停泊したのではなく、碇の一部品として重石代わりに使っていたようだ。福岡の近海からは、この種の石が海底から十数本引き揚げられている。従って、蒙古の碇石が展示されているのはここだけではない。

 筥崎宮境内に展示されているのは、博多港の中央波止場付近から引き揚げられた6本の碇石のうちの2本で、石材は朝鮮半島の全羅南道長興南方にある天冠山で取れる物らしい。ここには蒙古軍の造船場があったと伝えられている。

 それにしても、今日は境内は静かだし、参道もほとんど人が歩いていない。前回放生会で来たときには、参道にはものすごい数の夜店が並び、押すな押すなの大盛況だった。合戦で亡くなった人々の霊を弔うという秋の大祭の趣旨からして、もっと静かな祭りをイメージしていたがとんでもない勘違いで、あまりの人の波に辟易した思い出だけが残っている。今日は普段の静かな筥崎宮が見られて、来て良かったなぁと思う。

 さて、せっかくここまで来たのだから神社の周囲も歩いてみようと、黒田長政が建立したと伝えられる「一の鳥居」の前の道路を北東側に折れて、近所の商店街を覗いてみる。

 この道路は今は何の変哲もない地味な道だが、かつては大名行列も通った旧唐津街道である。箱崎は江戸時代の宿場町の一つで、御茶屋などもあったというから、筥崎宮の神徳も手伝って、かなり栄えたのではなかろうか。

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 こちらとしては、唐津街道の面影を伝える古風な街並みでもないかと期待しながら歩き始めたのだが、今やすっかり近代的な様相になっていて、マンションと商店が混在し、上空を電線がのたくる、味気ない通りが続いていた。

 それでも時折、小さなお堂や路地に面した昔風の商店など、かつての風情が一部に残っていて目を楽しませてくれる。気の向くまま、九州大学の工学部キャンパス辺りまで進む。

 とそのとき、遠くで雷の音がした。ふと見上げると、少し離れた上空に真っ暗な雲が湧き出ている。典型的な入道雲で、あれが迫ってくるとどしゃ降りの雷雨になるだろう。まだ少し時間はありそうなので、北西側の道にも分け入り、路地裏を歩く。昔ながらの家だろうなぁと思われる建物が一部に残っていて、丁寧に探せば味わい深い一角も見つかるかもしれない。

 そうこうしているうちに風が出て来た。積乱雲がもたらす風で、一旦降り出すと大荒れになりそうな気配がする。そろそろ戻ろうと地下鉄の駅のある方に向けて歩く。風は益々強まり、雨がポツポツとし出す。そして再び雷の音。

 やがて小降りのうちに駅にたどり着く。傘は差さずとも何とかなる程度の雨だ。屋根の付いた入り口から先ほどの入道雲のあった方角を見やると、真っ黒な雲がそこまで迫り、稲妻が雲間から光るのが見える。続けて大きな雷の音。稲光を眺めているうちに風が益々強まり、傘を差しづらいほどになる。もうこうなると散歩どころではない。まもなく滝のような雨が降り出すだろう。典型的な夕立だ。

 仕方なく地下鉄の改札口に向けて階段を下りる。もう少し遅くなってから夕立になると思っていたがあてが外れた。そこそこ歩いたが、ここまで遠征して来たにしては散策が不十分だったなと思う。もう少し足を延ばしたかったなぁ。

 梅雨時は仕方ない。明日も天気は悪そうだし、我慢の週末ということだろうか。いつか晴れた日に捲土重来を期したいものだ。
posted by OhBoy at 23:21| 日記