2011年07月02日

博多祇園山笠始まる

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 今日は起きたらどんよりとした曇り空。しかも湿度がかなり高くて、扇風機なしではいられない蒸し暑さだ。いつ雨が降ってもおかしくなさそうな雲行きだったので、本日の洗濯物は乾燥機に直行することになった。仮に雨が降らなくとも、この湿気だと乾きは遅そうだ。

 6月末に九州南部は梅雨明けしたと発表されたが、福岡はまだのようで、来週あたり天気が再び崩れると言っている。終わりそうで終わらない梅雨。しかし、節電が叫ばれる中で本格的な猛暑が来ても良いかとなると、何とも痛し痒しの話だなぁ。

 「7月になったら博多の街は山笠一色ですから」と地元の人に言われていたが、確かに地元のニュースにはその種の話題が多くなった。博多祇園山笠が大好きな地元の人のことを「山笠のぼせ」と言うらしい。まぁどんなお祭りにも、地元に熱烈なフリークはいるものだ。

 博多祇園山笠は、博多の総鎮守である「櫛田神社(くしだじんじゃ)」のお祭りで、毎年7月前半に行われる。かれこれ700年以上の歴史があり、国の重要無形民俗文化財に指定されていると聞く。全国的にも有名な夏祭りの一つだろう。

 この季節には全国各地で夏祭りが行われるが、由来は様々である。今回の東日本大震災で被害を受けた東北地方では、「青森ねぶた祭」「秋田竿燈まつり」「仙台七夕まつり」が三大祭りとされているようだが、青森ねぶた祭は坂上田村麻呂の蝦夷征討時のお囃子が起源らしいし、秋田竿燈まつりや仙台七夕まつりは七夕行事そのものだ。一方、京都の祇園祭も夏祭りの代表格だが、こちらは平安時代に疫病がはやった際の祈祷が始まりとされている。ちょっと挙げただけでも起源は多種多様だが、博多祇園山笠は京都の祇園祭と同じく、疫病退散の厄払いに由来があるらしい。

 以前訪れたことがある博多の「承天寺(じょうてんじ)」の開祖に「円爾(えんに)」という僧侶がいる。鎌倉時代の人だが、「聖一国師(しょういちこくし)」という名前の方が地元では有名かもしれない。この僧侶は、博多に疫病が流行した際、疫病退散を祈願して、町衆が担いだ施餓鬼棚に乗って祈祷水をまいて回ったらしいのだが、これが博多祇園山笠の始まりという説が有力だ。従って、博多祇園山笠は櫛田神社のお祭りだが、承天寺に行くと「山笠發祥之地」の石碑があるし、各山笠は承天寺に立ち寄るコースを取る。神仏混合時代のちょっと面白い話だと思う。

 さて、本来の博多祇園山笠は、「流(ながれ)」と呼ばれる博多の各町が飾りを付けた山笠を担いで練り歩くものだったようだが、流同士のいさかいが元で、担いで歩くのではなく、担いで走るようになり、山笠も飾りを付けた巨大なものと、実際に担いで走る小ぶりなものとに分かれたようだ。前者の飾り付きの豪勢な山笠を「飾り山笠」と言い、担いで走るための後者のものを「舁き山笠」と言う。「舁(か)く」というのは、時代劇に出て来る「駕籠かき」と同じく、担いで歩いたり走ったりする行為を指している。

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 上の写真が実際の舁き山笠だが、これが市内を回るのはまだ先のことだ。ただ飾り山笠の方は、博多祇園山笠の開始初日である7月1日、つまり昨日からそれぞれ所定の場所に飾られたようなので、本日はそれを見に行こうと思い立って家を出た。歩き出した途端にパラパラと小雨が降って来る。まぁこの空模様では仕方ない。

 飾り山笠は、全て博多人形師が手掛けていて、見た目あでやかで美しいものだ。そのうえ巨大で、商店街に飾ってあると、上がアーケードの天井につきそうになっている。

 博多祇園山笠に参加して「舁き山笠」を出している流、つまり町会は計7つある。「西流(にしながれ)」「千代流(ちよながれ)」「恵比須流(えびすながれ)」「土居流(どいながれ)」「大黒流(だいこくながれ)」「東流(ひがしながれ)」「中洲流(なかすながれ)」だが、実は展示される飾り山笠は14ある。飾り山笠を出している母体と、「舁き山笠」を出している流とは、重なっている部分もあるが、別の場合もあるようだ。このあたりはよく分からないが、飾り山笠にかかる費用の問題が絡んでいるのだろうか。

 雨模様の中を一度に14の飾り山笠を見に行くのは大変なので、本日のところはアーケードや屋内など、天気を気にしなくても良い中洲から川端にかけての飾り山笠を見るに留める。まずは、地下鉄空港線の中洲川端駅で降りて、中洲側に出る。中洲流の飾り山笠から見学スタートだ。


■中洲流の7番山笠

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 中洲流は、飾り山笠と舁き山笠の両方を出している。飾り山笠には、表と裏と両方博多人形が飾られている。裏の方は「見送り」と言うらしい。上の写真で言えば、左側が表、右側が見送りとなる。一見しただけでは前後の見分けがつかない。前後両方とも美しい飾付けだ。

 この山笠の場合、表が「攻防千早城(こうぼうちはやじょう)」で、見送りが「老公妙案救天下(ろうこうみょうあんてんかをすくう)」である。

 「攻防千早城」は、楠正成を主人公にしたもので、後醍醐天皇に味方して鎌倉幕府軍と戦った正成が、大阪南部にあった千早城に僅かの兵とともに篭城し、幕府軍相手に英知の限りを尽くして奮戦したエピソードが題材になっている。こうした飾りごとの解説は、それぞれの山笠のところに付けられていて、どの人形が誰を指しているかも説明してある。なかなか親切な設えだ。

 「老公妙案救天下」の老公というのは、ご存知水戸のご老公「水戸黄門」のことである。助さん、格さん、八兵衛と天下漫遊の旅を続けたのはテレビの中だけらしいが、これだけ有名なご隠居も他におるまい。

 この飾り山笠は、歓楽街中洲の中に飾られているが、福岡市外から訪ねて来た観光客にはちと場所が分かりにくいのではなかろうか。お蔭で見物客はまばらであった。


■博多リバレインの10番飾り山笠

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 表が「博多乃豪商(はかたのごうしょう)」で、見送りが「天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)」となる。

 「博多乃豪商」は、島井宗室、神屋宗湛ら博多にゆかりの豪商を主役にしたものだ。博多リバレインは複合ショッピング施設なので、巨万の富を築いた商売の天才にあやかろうということだろう。確かに、豪商にあやかりたくなるくらい売上げが振るわないという噂を聞いたことがある。天神地区だけでなく、JR博多シティーという強敵まで現れて、そのうえ原発騒ぎで海外からの訪問者が減ったとなれば、神頼みしたくなるのも人情というものだろう。

 もう一つの「天璋院篤姫」は、博多リバレインにある「博多座」で7月公演として国仲涼子主演で天璋院篤姫をやっているので、その宣伝を兼ねてのことだろう。

 博多リバレインは、いわゆる流ではないので、飾り山笠のみで舁き山笠は出していない。

 さてここからは、リバレインのお向かいにある川端商店街のアーケード内を進む。この先暫く雨の心配は要らない。


■川端中央街の16番飾り山笠

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 表が「戦国の女江(せんごくのおんなごう)」で、見送りが「ドラえもん」である。

 「戦国の女江」は現在NHKの大河ドラマでやっているが、私は途中から見なくなってしまった。少女マンガを実写でやっていると割り切ればそう問題はないのかもしれないが(笑)、これがあのNHKの大河ドラマかと構えて見ると、やってられないわという感じになって、見続ける意欲を失ってしまう。まぁでも新たなファンを増やすという意味では、たまにはこんな大河ドラマもいいのかもしれない。

 「ドラえもん」は、もはや説明する必要もなかろう。こりゃ絶対子供に受けるよ。実際この山笠の前の「子供人口密度」は高かった。

 川端中央街も流ではないので、飾り山笠のみで舁き山笠は出していない。

 商店街を櫛田神社に向けて下って行くと、もう一つ山笠が飾られている。


■上川端通の8番飾り山笠

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 表が「京一条戻橋(きょういちじょうもどりばし)」で、見送りが「秀吉賤ヶ岳合戦(ひでよししずがたけのかっせん)」である。

 「京一条戻橋」は、平安時代の武将「渡辺綱(わたなべのつな)」が、京都の一条戻り橋で美女に化けた鬼の腕を切り落とした逸話を題材にしている。渡辺綱は、丹波の大江山に棲む酒呑童子を退治したことでも有名で、切り落とした鬼の腕を、当の鬼が女性に化けて取り戻しに来るという構成は同じである。そんな話を聞くと架空の人物のようだが、実在の人である。ちなみに、東松浦半島に名を残す九州の水軍松浦党は、渡辺綱の遠い子孫にあたる。

 一方「秀吉賤ヶ岳合戦」は、信長の死後に覇権を争った羽柴秀吉と柴田勝家が賤ヶ岳で行った決戦を描いている。そういえば、この賤ヶ岳合戦は、NHK大河ドラマの「江〜姫たちの戦国〜」にも出て来たな。

 上川端通も、いわゆる流ではないので、飾り山笠のみで舁き山笠は出していないが、何とこの飾り山笠は、舁き山笠と同様に人が担いで曳き回すらしい。唯一の「舁き飾り山笠」である。こんな巨大なものが、実際に動くのだろうか。ちょっとビックリした。


■櫛田神社の番外飾り山笠

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 川端商店街が途切れたところに櫛田神社がある。ご存知、博多祇園山笠の中心である。

 飾り山笠は7月1日から2週間だけ福岡市内各所に飾られるが、祭りの主催者となる櫛田神社境内には、年間を通じて飾り山笠が展示されている。今回、新しいものに変わったようなので覗いてみた。

 お祭りの期間に入ったので、境内には露店が並び、「追い山笠」を見るための桟敷席も設えられている。各流の舁き山笠が、7月15日午前4時59分に櫛田神社に集まり、一番山笠が博多祝い唄を歌ったあと、博多の街に繰り出す。博多祇園山笠は「追い山笠」と呼ばれるこのクライマックスに向けて積み上げられていくが、それに参加するためには桟敷席で見るしかない。ちなみに、今年の桟敷席のチケットは何と13分で完売したらしい。

 番外飾り山笠の表は「智将疾風関ヶ原(ちしょうしっぷうせきがはら)」で、見送りは「神話天之岩戸譚(しんわあまのいわとたん)」である。

 「智将疾風関ヶ原」の智将とは、真田昌幸・幸村親子のことを指すらしい。関ヶ原から大坂冬の陣・夏の陣と、知略と果敢な攻めで徳川方を苦しめた真田軍の活躍を題材にしている。

 「神話天之岩戸譚」は誰でも知っている神話の一節を題材にしたものだ。天岩戸伝説は、太陽神である天照大神が岩屋の中に隠れて世界が真っ暗になったという話で想像できるように、皆既日食を元にした伝説だというのが一般的な解釈である。でも、その岩屋跡というのが宮崎県の高千穂町に残っていて、「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」というのが建っている。私は行ったことがないが、この神社のご神体は、文字通り天岩戸という洞窟である。


■キャナルシティ博多の15番飾り山笠

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 櫛田神社の脇からキャナルシティに入る。今回の飾り山笠の中で一番見てみたかったのがこれである。いや飾り山笠の出来の問題ではなく、あの近未来的なキャナルシティのど真ん中に、古式ゆかしい飾り山笠がドーンと立っている姿を見てみたかったのである。その様子は、このページの冒頭の写真でご紹介した。何とも圧巻である。

 表が「流星光底逸長蛇(りゅうせいこうていにちょうだをいっす)」で、見送りは「武勲桃太郎(ぶくんももたろう)」である。

 「流星光底逸長蛇」は川中島の戦いにおける武田信玄と上杉謙信の一騎打ちを描いたものだ。川中島では都合4回戦いが行われたが、一騎打ちは4回目の合戦の際にあったと「甲陽軍鑑」には書かれている。上杉謙信は「鞭声粛々夜河を渡る」で有名な隠密渡河で武田軍の近くに忍び寄り、朝霧が晴れると車懸りの陣で武田軍を襲う。虚を衝かれた武田軍の本陣が手薄になった時に、上杉謙信が単身乗り込んで武田信玄を襲い、馬上から三太刀斬りつけたが、信玄は軍配をもってこれを凌いだと伝えられる。

 「武勲桃太郎」は説明の必要もなかろう。桃太郎が犬、猿、雉を連れて鬼ヶ島に鬼退治に行った時の活躍を描いている。

 このあたりで本格的に雨が降り出す。予想していたことではあるが、雷を伴った夕立でないのが幸いだ。来た道を戻り、中洲川端駅から地下鉄に乗り、今度は天神駅で降りる。ここにも飾り山笠が集まっているが、全て屋内展示なので空模様を気にする必要がない。

 長くなったのでこのあたりで一旦筆を置き、天神地区の山笠は明日紹介することにしよう。今日はたくさんの飾り山笠を見て、福岡の人々がこの祭りにかける意気込みの一端に触れた思いがする。「山笠のぼせ」の気持ちも少しは分かった気がするなぁ。


posted by OhBoy at 23:40| 日記